見て歩く日本の城と史跡ー新潟県柏崎市(3)

長尾景虎(上杉謙信)に謀反した北条毛利高広の北条城跡(大字北条1107)

長尾景虎(上杉謙信)に謀反したて、武田信玄の家臣となった
北条高広の名前をよく覚えていました。
『ほうじょう』ではなく『きたじょう』と読む呼び方に特徴があります。
毛利元就のルーツは、神奈川県厚木市だということも知っていて、いつか
厚木にも行きたいと思っていたところ、ここ柏崎市の高名な武将北条高広も
毛利氏の一族だと知って、現地に来て見る面白さを痛感しました。

北条城を訪問した日は、あいにくの土砂降りで、足元は悪いし、写真はうまく撮れないしで
苦労しましたが、それでもお城好きの私には、楽しい時間でした。

観光協会からいただいたパンフレットにある史跡の案内番号と実際が、少し違っていましたが、
案内板の番号をチェックしながら、見て回りました。
帰宅後やっと整理ができた、何がどうであったかがよく分かりました。  (20/ 9/18 訪問)
大江広元
四男・毛利季光
宝治合戦で毛利一族
殆ど死に絶え、相模国
毛利荘を失う。
四男・毛利経光
宝治合戦時、経光のみ
越後にいて難を逃れる。
長男・毛利基親
越後国刈郡佐橋荘
南条領有
(1)北条毛利高広
上杉謙信に2度背き、2度帰参を
許されたが最終的には没落した。
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(2)安田毛利氏
上杉景勝に従い会津・
米沢に移り現在に至る。
四男・毛利時親
安芸国吉田荘領有
毛利元就
記述を省略する。
(現地案内板より 以下も同じです。)



本丸
二の丸
大手口
搦手口

(図 花ヶ前盛明)

(観光協会からいただいたパンフレットより 他にもあります。)




登城橋の向こうに見る北条城

専称寺本堂

豆ノ木御門の正面


豆ノ木御門の背面




ここで車道と交差しています。





現地案内板などから、
位置関係を推測しました。
本丸
二の丸
大空掘




北条古城址の碑


何の石碑か未確認








普廣寺山門

普廣寺本堂



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