見て歩く日本の城と史跡ー新潟県南魚沼市(坂戸城跡)

上杉景勝が生まれ育った坂戸城(坂戸690)

登城のスタート地点から実城までの比高は470mです。
いくら要害城だとしても、高過ぎでしょう?と登る前から気が重かったです。
今まで登った中で、一番高い要害城だったように思いました。
登りは城坂コース(主水郭)、下りは薬師尾根コースを選んだのですが、
結果、桃の木平と大城・小城を省略してしまいました。
御館の乱のとき武田勝頼の軍が坂戸城に駐留したこともあると聞いたのですが、
実城が戦場になったことはあったのでしょうか。

現地でいただいたパンフレットには『戦国時代に一度も落城したことがない』とありました。

因みに、『実城』『御館』という呼称は今のところ越後独特のもののように思っています。
                             (18/10/15 訪問)
標高 634m 比高 460m
諸説あり
はるか見上げる山頂にある坂戸城の実城

(現地でいただいたパンフレットより 以下も同じです。)





(現地案内板より 以下も同じです。)




 
 出発地点の鳥坂神社  城坂コースで実城を目指します。

『家臣屋敷跡』は城坂コースの両側にありました。

まず、御居間屋敷跡に向かいました。

 
標識が傾いた御居間屋敷跡 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが正規のコース

  正規コースに直角の短縮コース
 
 
 
 
 
 
 
1本杉  ここからキツイ階段道です。

   
 
    上杉景勝、直江兼続の名前があります。

 
 
 
 
前方に実城   遠い!

  南魚沼市の街
 
    四合目、五合目を見逃しました。

 
対岸の風景

  泊まる予定のホテルが見えます。
 
 
 
 
 
 
 
左に進む主水郭を選びました。

 
 
 
 
小さな郭があって、その向こうに主水郭。

   
 
主水郭は、張り出した尾根上にありました。

 
主水郭からの絶景!

 
主水郭から戻って、実城を目指します。

 
 写真で見る以上にはるかに深い空掘が二ヶ所ありました。紐がないと登るのがたいへん!

 
 登ってきた主水郭方向を振り返りました。

   
 
左へ曲がると主郭があるはず!

   あった!
 
 
 
戦国時代の石垣だと思われます。

 
実城に登る前に、実城の東側を大城・小城方向に
向かいながら、振り向きました。

   
 
    空掘があって、ここで戻りました。

大城・小城は、推測です。

 
南魚沼市を見下ろす富士権現社

 実城の標識がある郭

 
 
 
 
 
 
 夕暮れの南魚沼市

薬師尾根コースを下ります。
 
ひたすら階段が続き、かなりキツカッタです。

 
鳥坂神社に戻ったときは、脚がガクガクしました。 

上田長尾氏の史跡(坂戸627)

坂戸城実城への登城に思いの外時間がかかり、上田長尾氏史跡公園へは行かなかったので、
現地でいただいたパンフレットで学習しました。
長尾政景が溺死したという池は、どんなところかとても興味があったので、ここであろうという有力候補
『銭淵』に行って、案内板を読みましたが、その内容は、今まで知っていた説と違いました。
今まで知っていた説は、長尾輝虎(上杉謙信)と敵対していた長尾政景を
輝虎の重臣宇佐美定光が、舟遊びをしようと誘い、政景を溺死させ、自らも溺死したというもの。
諸説あるのだな、と思いました。                (18/10/15 訪問)

(現地でいただいたパンフレットより 以下も同じです。)


上田長尾市史跡公園
上田長尾市五代顕彰碑
直江山城守兼続供養塔
政景公の墓(古碑二基)
右、天正六年、五月、景勝公もより建立されたと云われる。
左、明治十六年、郡長の岡村貢(後、上越線生みの父)等、
  有志者により再建された。

 銭淵公園 
直江兼続公伝世館 喜平次と与六

 





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