見て歩く日本の城と史跡ー新潟県南魚沼市(上田の庄)

御館の乱の激戦地となった樺沢城(樺野沢)

坂戸城長尾氏の家老栗林氏の居城樺沢城は、御館の乱の折、攻め寄せる北条軍を迎え撃ち
激戦になった場所です。北条軍に奪われたり、また奪い返したりの激戦がありましたが、
結局冬将軍の援助で、景勝軍はなんとか凌いだようです。
景勝軍を支えた上田の諸将が生まれ育った地域にある樺沢城に登り、上田の庄を見下ろして、
しばし、感慨にふけりました。                  (18/10/16 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

(現地でいただいたパンフレットより)


樺沢城全景



    『城之腰』がどういうものなのか、分かりません。

ここが御館の乱の激戦地だと分かります。


城への登り口



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    左上は、『城主の館』の案内板です。

 
三ノ丸へ

   
三ノ丸に向かいながら見る上田の庄

 
 
 
 
  二ノ丸に向かう途中にある神社

 
空掘を越え二ノ丸へ


 
 
 
 
 
 
 
 
大空堀

   
 
 
 
 
  裏帯曲輪

 
 樺桜を経て本丸へ


 
 
 
 
 


本丸から坂戸城が見えます。

本丸は余り広くないです。


 
 
 
 
これが畝状竪掘跡かと・・・・・。


 
 
 
 
 
 
 
 
     
 
この後、三ノ丸を経て、登り口に戻りました。

上杉氏縁の福聚山龍澤寺(樺野沢30)

龍澤寺は、道を挟んで樺沢城登り口の反対側にあります。
山門の案内板に「景勝公、兼続公が幼少の頃で入りした・・・・・」とありました。
樺沢城は、坂戸城の家老だった栗林氏の居城だったので、上杉景勝が生まれるとき、
あや姫は坂戸城にいたのではなく龍澤寺にいて、景勝幼少の頃は栗林氏が守役として
坂戸城で養育したのかと、納得がいきました。
実物も拝見したのですが、いただいたパンフレットに、上杉氏縁の品々の写真があったので
この頁にアップロードさせていただきます。           (18/10/16 訪問)

(現地でいただいたパンフレットより  以下も同じです。)


上杉家縁の品々


正門に向かって左にある『仙桃院お花畑跡』

 
 

 
 


御館の乱の激戦地樺沢城下の武家屋敷群(樺野沢)

JR上越線の高架下をくぐると、そこが樺沢城ですが、その高架の手前が
かつては樺沢城の根小屋でした。
今は、スキー客を対象とした民宿などがたくさんある地域となっています。
でも訪問したときは、スキーシーズンでなかったので、人影もなく寂しい感じでした。

ゆっくり散策する時間はなかったのですが、樺沢城との位置関係などが理解できました。
                                      (18/10/16 訪問)

(現地でいただいたパンフレットより)

中屋敷跡

 
中屋敷跡そばのお地蔵さま


 
元屋敷跡

現在の町並み




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