与板城へ引っ越しするまで直江氏の居城だった本与板城(本与板) |
上杉謙信の時代、上杉家の重臣・直江景綱の娘・お船は、長尾藤九郎と結婚し、藤九郎は信綱と名乗りました。
その当時、信綱は本与板城を居城としていましたが、信綱は居城を南の地に移しました。
移転後、本与板城が支城として使われていたかどうかは、分かっていないそうです。
上杉家の後継者争いで起こった御館の乱の後、信綱が殺される事件が起こり、
お船は、直江家を継続させるため樋口兼続と再婚し、兼続は与板城を居城としたわけです。
現在、与板城跡はかなり整備されていますが、本与板城は草が生い茂っていました。
本与板城は湿気が多いように感じられて、それが城を移転した理由かな?とふと思いました。
(18/05/12 訪問) |
[与板地域案内図]はこちら!
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パーキング近くの本与板城本丸への登り口。麓にある『直江屋敷』からの登り道の途中となります。
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『一ノ郭』は『本丸』のこと。 左:二ノ郭 右:本丸
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階段を上ると本丸です。
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本丸の様子
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本丸と二の郭、三の郭の分岐点に戻りました。
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二の郭と三の郭の間の空掘 |
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道なき崖を右側に上ると二の郭
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二の郭は、草だらけで荒れていました。
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道なき崖を左側に上ると三の郭
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三の郭 |
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三の郭
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二の郭に残る土塁
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二の郭北側下の空掘 |
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パーキングまで戻って来ました。
近くに、『直江屋敷』まで下る道があります。 |
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歩いて下らないで、車で『直江屋敷』に行きました。 |
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直江兼続の妻・お船の生誕地(本与板) |
直江兼続の妻・お船が生まれ育った館跡。周囲には、昔を思わせる地名が残っています。
お船の最初の夫・信綱が居城を南に移した後はどうなったでしょうか。(18/05/12 訪問) |
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