見て歩く日本の城と史跡ー大阪市天王寺区(2)

真田信繁戦死の地・安居神社(逢阪1−3−24)

真田信繁は、大阪夏の陣で奮戦の後、安居神社の1本松の下で疲労を休めているとき、
敵と遭遇し、討ち取られたそうです。現在ある松は、2代目だとか・・・・・。
安居神社は、午後4時に閉じられます。
ぎりぎりに飛び込んで、感慨に浸る間もなく、写真を撮って飛び出しました。

『幸村』という名は、江戸時代の講談本で、江戸幕府に遠慮した作者が実名を避けて
作った名前だとか聞きました。真田家の縁の『幸』+信繁の姉の名『村松殿』を
合わせて作ったという話を、どこかで読んだ気がします。

因みに『信繁』という名は、信繁の祖父真田幸隆が、武田信玄の弟・典厩信繁の名前を
いただいて、兄思いに育つように名付けたそうです。      (20/ 1/15 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)


閉門時間ぎりぎりで、脇の入り口から入りました。

安居神社拝殿


真田信繁の銅像

『真田幸村討死之碑』
信繁が休息した松の2代目

聖徳太子が建立したと伝わる荒陵山四天王寺(四天王寺111−13)

安居神社を訪問した後、近くにある四天王寺に寄りました。
日は暮れかかり、とても疲れていたので、ざっと回って写真を撮っただけですが、
次回訪問の機会があればと思い、撮った写真をアップロードしておきます。


因みに、三重県津市にも、重要文化財である太子16歳の像がある塔世山四天王寺があります。
                                         (20/ 1/15 訪問)

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音(ぐぜかんのん)である。

『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに
使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・
御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている

宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった
日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な
立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。

ウィキペディアより







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