見て歩く日本の城と史跡ー大阪市中央区(2)

大阪城跡に残る石山本願寺跡(大阪城1-1)

顕如が織田信長に降参し、石山本願寺を退去した後に大阪城ができたのですから、
本願寺跡地は、考えようによっては大阪城全体とも言えるかもしれません。
現在の大阪城公園には、6番櫓近くの『石山本願寺推定地』と『蓮如上人袈裟掛けの松』
の二ヶ所が、石山本願寺の痕跡を残す場所となっています。  (20/ 1/16 訪問)

:石山本願寺推定地   :蓮如上人の袈裟掛けの松

(現地案内板より 以下も同じです。)




向こうに見えるのは、6番櫓





蓮如上人袈裟掛けの松の根 2代目袈裟掛けの松か?

古代の宮殿があった難波宮跡(法円坂1−5)

大阪城を南側から出たとき、古代の建物が目に入り、
よく見たらその広場が『難波宮跡』でした。
予め調べることなしで、偶然出会った場所でしたが、
しばし、古代のロマンに思いを馳せました。

           (20/ 1/16 通りすがりに) 


現在の大阪市中央区法円坂町一帯を中心として所在した7世紀中葉から
8世紀末に至る古代宮殿遺跡。上町台地を中心とする古代の難波の地には,
古くは応神天皇の大隅(おおすみ)宮,仁徳天皇の高津宮,
欽明天皇の祝津(はふりつ)宮などの宮室が置かれたと記紀は伝えている。
645年(大化1)6月,飛鳥板蓋(いたぶき)宮における蘇我入鹿暗殺事件を発端
としていわゆる大化改新が開始されるが,
同年12月,孝徳天皇は都を飛鳥から難波長柄豊碕(ながらとよさき)に移した。
(ウェブサイト『コトバンク』より)










日本の城と史跡・目次][年表