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大阪城を南側から出たとき、古代の建物が目に入り、
よく見たらその広場が『難波宮跡』でした。
予め調べることなしで、偶然出会った場所でしたが、
しばし、古代のロマンに思いを馳せました。
(20/ 1/16 通りすがりに) |
現在の大阪市中央区法円坂町一帯を中心として所在した7世紀中葉から
8世紀末に至る古代宮殿遺跡。上町台地を中心とする古代の難波の地には,
古くは応神天皇の大隅(おおすみ)宮,仁徳天皇の高津宮,
欽明天皇の祝津(はふりつ)宮などの宮室が置かれたと記紀は伝えている。
645年(大化1)6月,飛鳥板蓋(いたぶき)宮における蘇我入鹿暗殺事件を発端
としていわゆる大化改新が開始されるが,
同年12月,孝徳天皇は都を飛鳥から難波長柄豊碕(ながらとよさき)に移した。 |
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