見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県深谷市(1)

畠山重忠史跡公園(畠山510−2)
 
 畠山氏についてあまり知識がなかったのですが、22年のNHK大河ドラマに重要な人物として登場したので
関心が湧き、かつての居館跡が公園として保存されていると知って行ってみました。
 大きな看板があったので、探しよく、駐車場もあって、便利でした。
 見どころは、重忠公のお墓と産湯の井戸ですが、やはり鵯越えの坂を愛馬を背負って下ったという像でしょう。
当時の和種馬は、かなり小ぶりだったので、十分可能だったと思われますが、重忠公の優しい人柄を忍ばせる
に十分でした。
 元の居館は、当然もっと広く、四角く、きっと土塁に囲まれ、その外側は堀になっていたのでしょう。
                                (23/ 2/28 訪問)


(現地案内板より 以下も同じです。)

注:上が南 注:上が北


(Wikipediaより)

 重忠公ゆかりの石
 曽って重忠公の石と伝えられしもの三個あり、畠山地内倉渕及び渕の上畑中並びに
中谷の水田に在りしも、昭和中期頃畑の岩塊二個は所在不明となりとなりたり。昔日の
古老の言い伝えによると北岸地域との争いごと起り、怒れる重忠公は三度無双の大力
をもって、中谷山上より北岸めがけて投げつけしところ、無念にも届かず畑中に落ちし
ものと伝えられる。
 尚この石には物を置いたり腰掛にしたりすることは、深く戒められて居り、これを犯し
たるときは直ちに頭痛など起きるものと堅く守られ伝承されしことなり。
 平成元年三月吉日
                  畠山庄司次郎重忠顕彰会







 訪問中は気づかなかったのですが、公園の南端に重忠公没後
100年に建立された地蔵尊があるようです。

畠山重忠の言い伝えが残る鶯の瀬(畠山942)

 鶯の瀬の言い伝えは、重忠公が強いだけでなくロマンを感じさせる人柄だったことを忍ばせます。
実際に鶯の瀬に行ってみると、荒川は断崖の下にある感じで、瀬を渡っても川岸に上るのは大変
そうに
みえましたが、当時と今とでは川の様子も違っていたのでしょう。 (23/ 2/28 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)




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