見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県深谷市(4)

今も現存する尾高淳忠生家(下手計236)

 尾高淳忠が生まれて、ずっと暮らした家が今も残っているとは、考えた
だけでもワクワクします。とここまで書いてきて、渋沢栄一、尾高淳忠と
呼び捨てにしても良いかと、ふと考えてしまいました。でもお二人とも歴史
上の人物なので、敬称略にさせていただきます。

 玄関に今もかかっている表札から、お孫さんの代まで住居として使われ
ていたのが分かります。家の中は、玄関から勝手口まで三和土の土間が
あって、座敷には上がれず、土間から覗き込むようにしての見学でした。

 楽しみにしていた2階は非公開で少しがっかりしましたが、江戸時代の建
物が現存しているのですから、とても、とても貴重なもの。管理なさっている
皆様のご苦労を思えば中に入れただけでも幸せでした。(23/ 2/28 訪問)


(現地案内板より 以下も同じです。)


尾高(渋沢)平九郎は、身長180cmもあったそうです。
一方渋沢栄一の身長は153cm。従兄弟なのに・・・。


尾高家の正面前景


(現地でいただいたパンフレットより)

密議をしたといわれる2階の部屋
(非公開)

尾高浩一は淳忠の孫





母屋の勝手口

煉瓦蔵
このレンガの積み方は、英国式だそうです。


勝手口を出て右に回ると、土蔵が見えます。 土蔵の木の壁

尾高家の玄関を出ると目の前が車道で、車道の向こうにかつて尾高家の長屋があったそうです。

下の2点は、写真の展示物です。


渋沢栄一、尾高淳忠縁の鹿島神社(下手計1145)

 21年度NHK大河ドラマ『晴天を衝け』に出てきた鹿島神社は、旧渋沢栄一
邸と尾高淳忠生家の中間で、やや尾高家に近い場所にあります。
 一見すれば、日本中どこにでもある神社のようですが、扁額には、渋沢栄一
の名があり、尾高淳忠頌徳碑の上部題字は、徳川慶喜によるものです。
そう知ってお参りするとドラマのシーンが甦りました。(23/ 2/28 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

この奥にもう一つ鳥居があります。

それがこれ。


    鹿 島 神 社
 創立年代は不明だが、天慶年代(十世紀)平将門追悼の際 六孫王源経基
の臣竹幌太郎がこの地に陣し 当社を祀ったと伝えられる。以降武門の守
とされ 源平時代に竹幌合戦に神の助けがあったという。享徳年代(十五世紀)
には上杉憲清(深谷上杉氏)など七千余騎が当地周辺から手計河原 龍瀬
教西などに陣をとり 当社に祈願した。祭神は武〇槌尊で本殿は文化7年(一
八一〇)に建てられ千鳥破風向拝付であり 拝殿は明治十四年で軒唐破風
向拝付でともに入母屋造りである。境内の欅は空洞で底に井戸があり天然
記念物に指定されていたが 現在は枯凋した。尾高淳忠の偉業をたたえた頌
徳碑が境内に建立された。
    昭和六十年三月           深谷上杉顕彰会(第二十二号)



かつて天然記念物だった欅



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