見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県行田市(4)

 忍城水攻めのとき石田三成が本陣にした丸墓山古墳(埼玉4834)

豊臣秀吉が小田原を攻めているとき、石田三成は秀吉の命で忍城を攻めていました。
三成は、現行田市にたくさんある古墳の中でも一番高い丸墓山を本陣にしました。
丸墓山から、忍城が一望できるので、かつて上杉謙信が忍城を攻めたときも本陣としました。
三成が水攻めをしたとき、28kmに亘る堤を築いたのですが、その堤の一部が丸墓山に繋がっています。

とても残念なことですが、忍城は水攻め当時の姿も江戸時代の姿も、皆無と言って良い状態なので
この丸墓山と石田堤の史跡が、とても楽しめました。

前方後円墳が城として使われた例として、奈良県天理市柳本市にある柳本城がありますが、
古墳を戦さに使うことに、問題はなかったのでしょうか。なかったのですね。    (19/ 1/14 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)





向こうに見えるのが、丸墓山古墳

丸墓山へ通じる1本道は、石田三成が水攻めのために造った石田堤。


丸墓山の頂上

頂上から見る古墳群 丸墓山の頂上


上杉謙信も石田三成も見た丸墓山からの忍城(当時この櫓はありませんでしたけれど。)

反対側に下りて、下から見上げました。



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