見て歩く日本の城と史跡ー静岡県浜松市

17年間徳川家康の居城だった浜松城(中区元城町)

浜松城は、元は今川氏が築城した引馬城でした。
その後、いろいろな歴史を経て、引馬城は徳川家康のものとなりました。
武田信玄の三河侵攻を恐れた家康は、元亀元年(1570)本拠地を三河国
岡崎からここ遠江国引馬へ移しましたが、『引馬』は、軍を引くという
意味で士気を殺ぐので、この時城の名を『浜松城』と改めました。
浜松城は、引馬城の南西方向に増築したもので、現在の浜松東照宮
あたりに引馬城があったと言われています。

元亀3年(1573)、武田信玄のこの城の前を素通りして家康を無視するかの
行軍に腹を立てた家康が、城から飛び出して戦いを挑み、大敗を喫したのが、
三方ヶ原の合戦です。天正14年(1586)、家康は浜松から駿府に本拠を移し
ました。家康の浜松在城は29歳から45歳までの17年でした。

浜松城は野面積みの石垣が残っていることで有名です。
自然石を積んだ野面積みの石垣は、一見不安定にも見えますが、
実は知恵と工夫の結晶で、かなり堅固です。
他にも部分的に野面積み石垣を残す城はありますが、浜松城も、
多くを残しているので、必見です。        (14/ 4/19 訪問)


(現地案内板より  以下も同じです。)

 


模擬天守閣

野面積みの石垣

 
 
 
 
   
 


本丸

 二の丸から見上げる本丸

   
 
 二の丸   本丸から見た浜松市役所 

徳川家康が武田軍に大敗した三方原の古戦場跡(北区根洗)

元亀3年(1572)12月22日、浜松城のお膝元の三方原を通過中だった武田軍に
戦いを挑んだ徳川家康は、大敗を喫しました。これを三方原の戦いと言います。
三方原の古戦場は、広い範囲であったこと、
今は住宅地になってしまったことなどで、場所は詳しくは特定できていません。
北区に古戦場の碑がありますが、聞くところによれば、
そこが古戦場だったという確証があってのことではないそうです。
ただ、武田軍の死者が出た犀ヶ崖の古戦場は、ほぼ特定されています。

                         (14/ 4/19 訪問)   

上洛を目指した武田信玄は、元亀3年(1572)10月3日に2万5000の軍勢を率いて甲府を出発、
同年12月22日には浜松城の北側に広がる三方原に進出してきた。徳川家康は家臣の反対を押し切って
1万1000(徳川軍8000、織田信長の援軍3000)の軍勢を率いて浜松城を出発、武田信玄の軍勢に
迫った。コ川軍はいつでも攻撃できるような鶴翼の形をとり、家康の陣形を確認した武田信玄は魚鱗の陣
形をとった。戦いは日暮れに近いころ、ここ三方原の根洗付近で開始されたが、徳川軍は武田軍の前に
惨敗、総崩れとなって浜松城に退却した。この戦いで敗れた家康は多くの教訓えお得た。「浜松市史」では
これをつぎのように記している。「この敗戦にによって弾力のある積極性の重要さを身をもって体験した。
またや船のかけひき、短時間で勝敗を決するという教訓を学び取ったのである。家康が野戦の名将となっ
たのは、三方原の敗戦によってえた経験が大きく作用している。」
(現地案内板より)

武田軍による徳川攻めの侵攻図
クリックして下さい。


犀ヶ崖資料館

本多忠真顕彰碑
三方ヶ原の戦いで徳川軍が総崩れとなったとき、徳川家康は死を覚悟して武田軍に突撃しようとしました。
必死で止める家臣のうち、夏目吉信は家康の身代わりとなって武田軍に突入、見事家康を逃がしました。
夏目次郎左衛門吉信顕彰碑は、犀ヶ崖資料館の道の向かい側少し離れて(中区布橋)たっています。
 
夏目吉信顕彰碑

三方原の地名はしっかり残っています。

 元亀元年(1572年)12月22年徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、
武田軍およそ2万5千の戦力にたいし徳川軍は、およそ1万1千の兵力を以って
戦いを挑み、戦闘約2時間といわれるも、結果は大敗に終わった。
 これが三方原の合戦である。戦いが展開されたのは、この三方原台地である
が、その○○○は定かではない。われわれは、この三方原の一角にこの碑を
建て、その歴史の場を後世に伝えようとするものである。
  昭和59年7月吉日               三方原歴史文化保存会有志

 
  三方原古戦場の碑(北区根洗町)

徳川軍が武田軍に一矢報いた犀カ崖古戦場跡(中区鹿谷町25−10)

徳川軍が大敗したと伝えられる三方原の戦いで
徳川勢が武田勢に一矢報いたのが
『犀ヶ崖の戦い』です。

徳川勢の人馬が多く落ちたといわれる犀ヶ崖は、
上から覗くと深くて、この作戦を考えた徳川軍も
ナルホドと思いました。  (14/ 4/19 訪問)
                 
犀ヶ崖資料館

(現地案内板より)




日本の城と史跡・目次][年表