見て歩く日本の城と史跡ー静岡県三島市

源頼朝・北条政子の尊崇が篤かった三嶋大社(大宮町2−1−5)

三嶋大社は、源頼朝、源頼家、北条時政、北条政子等が尊崇した神社として有名です。
境内には、『源頼朝、北条政子腰掛石』があります。

また、後北条氏とも関係が深い神社です。
北条(伊勢)早雲は明応2年(1493)12月26日から7日間、関東制覇を祈願して大社に籠りました。

『北条記』には、このときネズミが出てきて二本の杉の大木を根元からかじって倒す姿を見たと記されています。

永正14年(1517) 北条氏綱は三嶋大社に太刀を奉納して北条家の安泰と繁栄を祈願しました。
永禄12年(1569) 武田信玄の軍が大社を焼失させましたが、
北条氏政はすぐに仮本殿として復旧しました。

三嶋大社御祭神
大山祇命[おおやまつみのみこと]、
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]
(2013/12/24 訪問)
                  

大鳥居 神門

舞殿

本殿



戦国末期、北条氏康が築城した山中城(山中新田)

山中城は永禄年間(1560年代)、北条氏康によって築城されました。
北条氏の
本城は小田原にあり、西の防衛拠点として東海道を取り込む地点が選ばれました。

天正15年(1587) 豊臣秀吉との関係が悪化すると、豊臣軍の攻撃に備え、
天正18年(1590) 2月 開戦直前までまで工事が進められましたが、未完のまま決戦を迎えました。
3月 羽柴秀次を総大将とする4万(7万とも)の軍勢に攻撃されると、
小田原勢4千は奮戦しましたが、わずか半日で落城しました。
城主・松田康長は戦死、北条氏康の娘を母に持つ北条氏勝は玉縄城に落ち延びました。

今までいくつかの山城を見てきましたが障子堀は初めてで、山中城の特徴と言えます。
                                   (2013/12/24 訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)


西櫓・西ノ丸鳥瞰図


バス停山中城跡から見る山中城

城兵の飲料水だった箱井戸

二ノ丸虎口と架橋
山中城最大の曲輪、二ノ丸

二ノ丸と本丸の間の帯堀
藤棚のところに広間があった本丸
標高578m、1748平米

山中城のシンボル・矢立の杉
柱穴が残る兵糧庫跡

本丸から続く天守台
3方を土塁で囲んだ北ノ丸
標高583m、1092平米


北ノ丸堀
西ノ丸と西櫓の間の用水池を兼ねた障子堀

西櫓 ぐるりと取り巻く帯堀

西ノ丸 西ノ丸物見台  左奥は西櫓

物見台から見る西ノ丸 かつてここは溜池だったそうです。

雲で富士山が見えませんでした。



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