城内の案内板に次のようにあります。
『史跡諏訪原城跡は東海道武田料の先鋒を勤める重要な拠点を金谷台に天正元年(1573)
武田勝頼の臣馬場美濃守の縄張で築かれた稀に見る規模雄大な山城の跡である。』
訪問した日は雨が降って風も強く、足元が悪かったのですが、遺構がはっきり残っているので、
夢中になって城内を歩きました。とにかく規模が大きいのでびっくりです。
城内に諏訪大明神が祀ってあるので、城の名が諏訪原城となったそうです。
車で城まで行けるので山城のイメージがないのですが、なかなか攻め難くそうな城に見えました。
武田家滅亡後は、徳川氏の城となりました。
今川氏真は、長篠の合戦のおり、諏訪原城を攻撃し、落城後家康により牧野城と名を改めた
諏訪原城の城主となりましたが、1年で解任され、浜松に戻り剃髪し、これ以降武士として活躍
することはありませんでした。 (2014/ 3/19 訪問) |
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土橋
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本丸馬出口
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本丸(一の曲輪)
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『カンカン』の名前の由来は分かりません。
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今も水がある水の手曲輪
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ここから下ると水の手曲輪 |
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城内にある諏訪神社(諏訪原城の名前の由来になりました。) |
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