見て歩く日本の城と史跡ー静岡県静岡市葵区

徳川氏の駿府城になった今川館(駿府城公園1番1号)

テレビの番組などで見る今川館は、豪壮なもので、土塁などが残っているのだろうかと思っていました。
今川館がどこにあったか定かでなかったのですが、平成17年に静岡県が駿府城内の発掘調査を行いました。
その結果、徳川氏の駿府城の二の丸から、長さ10m、幅3m、深さ2mの濠だと思える遺構が見つかり
二の丸付近に今川館があったものと分かったそうです。
他にも、かわらけの類が出土したので、ほぼ今川館の位地は特定されたとのことです。

この遺構は、現在は埋め戻してあるので、見ることはできません。
その旨静岡市役所の人に言われて、本当にがっかりしました。

駿府城跡で必見は、二の丸水路の石垣です。この石垣の下の方は、家康時代のものであるとのこと。
今川氏の濠跡と違って、こちらは公開されています。
          (2014/ 3/17 訪問)

(城内案内板より 以下も同じです。)

江戸時代の駿河城

北御門跡

  
紅葉山庭園前広場

二ノ丸水路

4回折れ曲がっている家康時代の遺構二の丸水路

江戸時代の二の丸  かつての今川館跡


 
   
 
 


駿府城天守閣

今川義元の母・寿桂尼の菩提寺竜雲寺(沓谷3-10-1)
 
竜雲寺は、今川氏親夫人・大方殿の菩提寺です。
氏親没後、寿桂尼の名で広くその存在を知られ、事実上の今川家当主として君臨した人の墓前に立ち、
孫氏真を残してこの世を去った無念の気持ちを推察しました。

お墓は2基あって、 一つは妹の黒木方の墓だという記述を、どこかで見た記憶があります。
竜雲寺は、今川館の東北、鬼門の方角にあり、死後も今川家を守ろうとする寿桂尼の希望でここに埋葬されたそうです。
                                  (2017/05/30 訪問)

竜雲寺本堂 貴重な資料となる案内板

(現地案内板より)

(現地石碑より)

寿桂尼のお墓

 
どちらが寿桂尼のお墓か分かっていないそうです。  

今川氏の菩提寺大竜山臨済寺(大岩町7番1号)

大竜山臨済寺は、今川義元の軍師太原崇孚が、彼の師大休禅師を迎えて開山したお寺で、
義元の兄今川氏輝と太原崇孚のお墓があります。
訪問したとき、本堂が修復中で裏山の庭園も氏照、太原師のお墓も見ることができませんでした。

臨済寺と言えば、今川の人質となっていた若き日の徳川家康が過ごしたお寺です。
ここで家康は雪斎和尚から文武両道を厳しく指導されました。
実は、家康の師雪斎和尚と今川義元の軍師太原崇孚が同一人物だとは繋がりませんでした。
                                        (2014/ 3/17 訪問)

(現地案内板より)

山門

改修中の本堂
庫裡と鐘楼

寺紋
山門前もきれいな庭園です。

 今川氏の歴代当主から厚い庇護を受けてきた静岡浅間神社 (宮ケ崎町102-1)

『静岡浅間神社は、今川氏の歴代当主から厚い庇護を受けてきました。』という文言をネットで見ましたが、
実際に訪問して見ると、今川氏の痕跡は見つかりませんでした。

むしろ、徳川氏の史跡の雰囲気があるのは、考えれば当然のことかも知れません。

Wikipedia には、『神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。』と、ありました。
しかし、境内の案内板には、『静岡浅間神社の七社巡り』とあり、境内には7社あることが分かりました。

今川氏の史跡が見つからなかったのは、残念です。   (2018/ 5/29 訪問)

(現地案内板より)

バス停の名前にもなっている赤鳥居
 
 
 赤鳥居を入ったところにある『大歳御祖神社』

  八先戈神社
 
徳川家康はここで元服しました。

    楼門
大拝殿  左:浅間神社の紋  右:神戸神社の紋

 
 大拝殿にある徳川氏の紋

   
 
 左に見えるのは、舞殿。    



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