千種街道と『信長駒つなぎの松』(甲津畑町) |
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『金ヶ崎の退き口』の後、織田信長が岐阜に戻ったとき
通った街道が『千種街道』です。『千草街道』とも書きます。
滋賀県と三重県の県境を通り、三重県の千種に抜ける
険しい行程です。
途中、信長は杉谷善住坊に火縄銃で狙撃されましたが、2発とも
かすり傷で済んだそうです。
現在、甲津畑の民家の間を通る部分は、千種街道の名残を留めて
おり、民家の庭に見事な『信長駒つなぎの松』があります。
車を降りて歩いた『林道岩ヶ谷線』がかつての千種街道であったか
どうかは、いただいた地図などでしらべましたが、分かりません。
『林道岩ヶ谷線』は、厳しく『車両侵入禁止』になっていました。
信長が狙撃された『杉谷善住坊の隠れ岩』までで戻りました。
因みに、後醍醐天皇の寵臣だった千種忠顕は、三重郡菰野町千種に
所領を持って『千種』を名乗りました。 (20/ 8/ 9 訪問)
←(現地案内板より 以下も同じです。) |
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速水家に今も伝わる『信長駒つなぎの松』
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右:速水家の庭
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左に速水家があります。 |
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車をおいて、『林道岩ヶ谷線』を歩きました。
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進行方向左側の厳しい崖を降りると、『杉谷善住坊の隠れ岩』があります。 |
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織田信長が火縄銃で狙撃された『杉谷善住坊の隠れ岩』(甲津畑町) |
崖下に下りるのに、少し苦労しました。
織田信長狙撃に失敗した杉谷善住坊は、捕まって、首だけ出して地面に埋められ、
鋸で首を切断されたとか・・・・・。 (20/ 8/ 9 訪問) |
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