1602年に彦根藩初代井伊直政が、戦傷により破傷風にかかり病没、その遺意により当時暴れ川であった |
芹川の三角州にて荼毘に付された。その跡地に創建された寺院が長松院である。 |
故事によると善利川(現芹川)の中州において、慶長七年二月一日、太守井伊直政朝臣が四十二歳にして |
死去、生前より遺言されていたこの地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に廬を建てる。 |
国臣脇、越石、秋山三氏をこの守護となす。同年三月八日、甲斐国より禅僧として名高い貴山永胤大和尚 |
に迎え、を開山井伊直継によって慶長七年六月二十八日禅堂をつくり祥壽院(井伊直政公の戒名祥壽院殿 |
清涼泰安大居士より)とした。のちに萬年山長松院と改め現在に至る。なお、萬年山の萬は直政が徳川 |
家康の小姓をしているときの名前「萬千代」より、また長松院の松は幼名「虎松」より頂戴する。 |