見て歩く日本の城と史跡ー滋賀県彦根市(1)


井伊家彦根菩提寺・清凉寺(古沢町1100)

石田三成の居城だった佐和山城の麓にあった三成家臣島左近の屋敷跡が井伊家の菩提所になり、
彦根藩藩祖井伊直政のお墓があります。建物は本堂を含め3棟あって、夫々がとても立派です。
本堂の裏側にある井伊家の独特の墓石のお墓の中で、井伊直政のお墓は石の囲いがあると
聞いていたので、すぐ分かりました。
因みに、江戸で亡くなった藩主とその家族の菩提寺は、世田谷区の豪徳寺です。
                                        (20/ 9/16 訪問)

(現地案内板より 以下もおなじです。)



太い柱に驚きました。


藩祖・井伊直政のお墓

今回の史跡訪問の旅は、見るところが多かったので、うっかり石田三成屋敷跡を見忘れてしまいました。
グーグルマップによると、石田三成屋敷跡は佐和山城の本丸から真っすぐ西方向に降りたところにあります。
要害城、根小屋の形式をとっていたのですね。因みに島左近屋敷跡(清凉寺)まで390mです。
次回、機会があれば必ず行く場所として、今回はグーグルマップの画像をアップロードさせていただきます。




彦根駅前の井伊直政の銅像(古沢町40− 2)...

JR駅前に井伊直政の銅像があるというので、見に行きました。
色はないけれど、赤備えを身にまとい、騎馬姿の直政は、とても凛々しかったです。
                                 (20/ 9/16 訪問)
  

井伊直政が荼毘に付された場所に建つ萬年山長松院(中央町4-29)

井伊直政は、関ヶ原の合戦で、敵中突破を計った島津義弘を追撃し、狙撃され負傷しました。
その怪我がもとで2年後に亡くなったのですが、荼毘に付された場所に長男直継が建立したのが、
萬年山長松院です。この地に立ち、彼の無念の死に思いを馳せました。
  (20/ 9/16 訪問)

1602年に彦根藩初代井伊直政が、戦傷により破傷風にかかり病没、その遺意により当時暴れ川であった
芹川の三角州にて荼毘に付された。その跡地に創建された寺院が長松院である。
故事によると善利川(現芹川)の中州において、慶長七年二月一日、太守井伊直政朝臣が四十二歳にして
死去、生前より遺言されていたこの地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に廬を建てる。
国臣脇、越石、秋山三氏をこの守護となす。同年三月八日、甲斐国より禅僧として名高い貴山永胤大和尚
に迎え、を開山井伊直継によって慶長七年六月二十八日禅堂をつくり祥壽院(井伊直政公の戒名祥壽院殿
清涼泰安大居士より)とした。のちに萬年山長松院と改め現在に至る。なお、萬年山の萬は直政が徳川
家康の小姓をしているときの名前「萬千代」より、また長松院の松は幼名「虎松」より頂戴する。
(ウィキペディアより)

井伊直政公火化委骼之処




にある道標 外堀跡か?

にある道標 通りすがりの道標



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