見て歩く日本の城と史跡ー滋賀県彦根市(2)


浜松市にある井伊氏の菩提寺を彦根市にも建立した龍潭寺(古沢町1104)

浜松市井伊谷にある龍潭寺は、井伊直政以前の井伊一族の菩提寺です。井伊氏にとっては、とても大切な
お寺なので、井伊谷で幼少を過ごしたこともある直政が佐和山城に転封になった後に建立したものです。
『庭の寺』と言われていますが、ざっと拝見しただけで済ませました。
翌日、この境内を通らせていただいて、佐和山に登りました。        (19/ 9/16 訪問)

龍潭寺は、天平5年(733年)遠江国引佐郡(現・静岡県浜松市北区引佐町)に行基によって開かれたと伝
えられる。平安時代中期一条天皇のころに井伊共保がここで葬られたことから、井伊氏の菩提寺となった。
禅宗寺院となったのは室町時代末期井伊直平の代のようである。
それが、慶長5年(1600年)に井伊直政が近江国佐和山城に転封となると、龍潭寺の五世昊天宗建禅師を
当地に招いて遠江国から分寺して建立したのがこの寺である
佐和山を借景にした方丈南庭「ふだらくの庭」は枯山水庭園、書院東庭「蓬莱池泉庭」は池泉鑑賞式庭園
であり、共に開山・昊天宗建の作庭によるものである。他にも書院北庭「露地庭(ろじてい)」もある。
龍潭寺には禅宗の大学寮が併設されており、その中に造園を学ぶ園頭科(えんずか)があった。その生
徒が実習として作成した庭も残っている。茶室の飄々庵(ひょうひょうあん)は小堀遠州や井伊直弼などが
茶を楽しんでいる。                  (ウィキペディアより)

弘徳山龍潭護国禅寺




石田三成の居城だった佐和山城(古沢町)

龍潭寺を訪問した翌日、佐和山城跡に登りました。
佐和山は、清涼寺の私有地だということですが、駐車場やお手洗や案内板があって、気軽なハイキングコースとして、
人気があるようです。比高約150mというのも良くて、この日も、かなりの登山客がありました。
石田三成が関ヶ原の合戦で敗れた後、三成の父や兄が押し寄せる東軍と戦い、善戦したものの敗れて、
佐和山城は激しく痛んだそうです。

関ヶ原の後、井伊直政が佐和山の地に移封してきましたが、2年後に亡くなったとき
彼の遺体は、彦根で荼毘に付されたとのことなので、その荒れ果てた城で直政は晩年を過ごしたのでしょうか。


直政の死後、嫡男の直継が議論の末彦根山に井伊家の城を築くに当たり、佐和山城の石垣や門など
根こそぎ使ったということで、佐和山城は、一見すればただの山の状態になりました。

本丸下に僅かに隅石垣が残るのみです。           (19/ 9/17 訪問)
標高 232.5m 比高 148m
諸説あり

案内板1





JR彦根駅の陸橋から見た佐和山城跡

(現地案内板より 以下も同じです。)

龍潭寺の境内に石田三成の銅像があります。

境内を通らせていただいて、登城開始です。


ひたすら登って、尾根にでました。



塩硝櫓に出て更に進みました。


案内板2





西の丸

空堀のようです。
この先が本丸です。

本丸は、きれいに手が入っています。

佐和山城本丸から撮った彦根城天守閣 彦根の街から撮った本丸

佐和山城本丸から撮った彦根城天守閣


案内板3





本丸から見る琵琶湖

本丸から東方向に少し下ったところに石垣が残っています。


案内板4




千貫井

千貫井から見る彦根の街 この後本丸を通過する同じ道で下山しました。

井伊家の始祖井伊共保、彦根藩初代藩主直政、2代直孝を祀る井伊神社(古沢町1112)

彦根市は、見るところが多くて井伊神社をスキップして
しまいました。次回、彦根を訪問したときは、井伊神社
にも行こうと思います。


井伊神社
天保13年(1842)に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖
井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から
井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったの
がはじめとされます。また、彦根藩初代藩主直政・彦根藩2代藩主
直孝も祀られています。
現在は、風化による傷みが激しいため覆いをしており、中を拝観
することはできません。 (彦根観光協会のウェブサイトより)








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