見て歩く日本の城と史跡ー滋賀県彦根市(5)


江戸時代を通して井伊氏の居城だった彦根城(金亀町1-1)

彦根城には、以前行ったことがあったのですが、天守閣と玄宮園以外余り記憶に
残っていません。今回は、藩祖井伊直政、直孝時代のことを少し勉強し、
あわせて石田三成の佐和山城とも絡んだ知識を持って訪問しました。
帰宅してから、写真に撮って来た案内板の内容をよく読んで、
改めて彦根城のスゴさを知りました。

彦根城の天守閣で撮ったはずの佐和山城の写真がなく、とてもがっかりしていたところ、
西の丸三重櫓から撮った佐和山城の写真が見つかって、しかも井伊家菩提寺清凉寺も
はっきり写っていたので、嬉しくなりました。
『赤備え』の鎧・兜も10代藩主直幸の
ものがあったので、大満足でした。          (19/ 9/16
 訪問)
ひこにゃん
井伊家藩主の赤備え兜 + 豪徳寺招き猫 ➡ ひこにゃん
井伊家10代直幸が所用した兜
(藩主のみに許される天衝)
井伊家の江戸菩提寺豪徳寺の
招き猫(井伊直孝エピソードより)
天衝について諸説あります。
(1)そもそも天衝など、なかった。
(2)行軍のときは、天衝を付けていたけれど、合戦のときは取り外した。
(3)行軍のときは、天衝付きの兜を被り、合戦のときは天衝無しの兜を被った。

左: 関ヶ原合戦の井伊直政
彦根藩2代目(3代目とも)藩主井伊直孝は井伊直政の次男

(現地案内板より 以下も同じです。)


大手門橋から城に入りました。



天秤櫓が見えて来ました。


敵が攻めて来たとき、橋の脚を壊して、敵を防ぎます。


長浜城から移築したと伝わる天秤櫓を正面から見ています。

天秤櫓の天井 敵を防ぐため、不規則に作った石段



佐和山城から移築したと伝わる太鼓門
『たそがれ清兵衛』の撮影に使われたのは、ここ太鼓門櫓だったでしょうか?

大津城から移築したとも伝わる天守閣


マスコットキャラクター・ひこにゃん



ここで、天守閣の中に入りました。



内部の写真は、うまく撮れていませんでした。残念!

天守から見た琵琶湖


天守から見た楽々園と玄宮園

古い彦根城の写真集

天守閣を出て西の丸三重櫓へ 天守閣の背面です。


この日は、中に入れました。



見学者のための階段が作ってありましたが、元々の階段は手摺もなく、怖くてとても上下できません。


かつて藩祖井伊直政も居城とした佐和山城。画面左下に井伊家の菩提寺清凉寺が見えます。

立派な天井の材木

琵琶湖が見えます。 山崎郭へ




大堀切

井戸跡がある出郭
大津城から移築したとも伝わる西の丸三重櫓の背面

山崎郭へ

山崎郭は意外と大きく
土塁で囲まれれている、思ったのですが、

外側は、石垣になっていました。
今は通行できない山崎門

木俣守勝は、元々徳川家康の家臣で、藩祖井伊直政の付け家老として直政に付属していました。
直政が上州箕輪城に転封になったとき、箕輪城に『木俣』という郭がありました。
直政にもよく尽くしましたが、直政の死後起こった家臣間のトラブルを押さえきれない直政嫡男直継を
廃して、庶子直孝を彦根藩の2代目にすることに尽力したと言われています。
直孝は、後の徳川幕府の中枢に入り、徳川の基礎を作った一人と言われるまでになりました。
直孝は、木俣守勝への恩を忘れず、井伊家は木俣家を大切にしたと言われています。
木俣氏は、代々井伊家の筆頭家老を勤め、ここに屋敷を持ったのですね。

佐和口付近にある『家老木俣屋敷跡』

登り石垣



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