後醍醐天皇が、隠岐から脱出することができたのは、どのようにして?と大きな疑問でした。
西ノ島に滞在中、少し分かってきました。黒木御所は、見付島から厳重に監視されていたので
うみからの脱出は不可能だと思われます。現地でいただいたパンフレット等によると、黒木御所
から海に出ないで山越えし、美田にある『後醍醐天皇御腰掛の石』の地点まで行き、石に腰掛
けてしばし休息しました。その後小舟で赤崎鼻に行き、そこで待っていた伯州船で脱出したとの
こと。見張っていた隠岐判官は、どうなったのだろうか?と心配になりました。
(24/10/04 訪問) |
(現地で頂いたパンフレットより 以下も同じです。) |
見付島 現在と違いフェリー発着のための埋め立ては当然ありませんでした。 |
美田から赤崎まで小舟で来て、その後大型船に乗り換え脱出に成功したそうです。 |
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