鎌倉には鎌倉時代に建った建造物はないそうですが、ここ鑁阿寺は正真正銘の鎌倉時代に建った
ものだと聞いて、行ってみました。素人の見た目には、古さや建築様式など、よくはわからなかったの
ですが、古いというだけで、しみじみとするものがありました。
鑁阿寺が日本百名城に入っていると聞いて、お寺のイメージが強いので少し驚きましたが、甲府の
躑躅ヶ崎の館も百名城に入っていますから、似た感じだというか、当然のことなのでしょう。
水堀、土塁に四方を囲まれた造りは、足利氏の宅があった場所なのですから、当然のことでしょう。
これだけ遺構が残っていたのは驚きです。 (23/ 3/ 3 訪問) |
市指定重文 校 倉 |
宝庫、大黒堂とも称する。永享徳4年公文所奉行の再建といわれて |
いるが現存の棟札では、当山32世満慶上人が宝暦2年の再修となる。 |
建築様式校倉風で元来当山の宝物を収蔵した。42世忍空上人の○ |
宝物は他へ移して足利家伝来の大黒天を祀った。 |
昭和55年、市の助成を得て元文部技官安田昭二により半解体修理 |
を実施した。 真言宗金剛山 鑁阿寺 |
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本堂背面
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これら木材が、鎌倉時代のものだとおもい、ワクワクしました。
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これで見学を終えて、車にもどりました。
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