見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県佐野市(1)

藤原秀郷の子孫佐野家代々の居城だった唐沢山城跡(富士町、栃木町)
 
 山城というと、麓に城主の居館がある要害城を思いますが、唐沢山城はまさに城主の居館なのですね。
生活が不便ではないかとも思いますが、今も水を湛えた『大井』があるので、生活の不便さは少なかった
のかもしれません。それにしても、本丸をめぐらしている見事な石垣の石は、いったい誰がどこから運ん
だのでしょうか。もちろん、藤原秀郷とその子孫の佐野家の命を受けた労働者が運んだのでしょうが、
その大変さは想像に余りあります。本丸を取り囲む石垣は、当時から崩れることはなかったのか、と
しばし呆然と眺めていました。                     (23/ 3/ 4 訪問)
標高 242m 比高 180m
諸説あり
現地案内板より 以下も同じです。)






唐沢山城に向かって 『食い違い虎口』を振り返って


天狗岩から、かつての江戸が良く見えました。

天狗岩からの眺望を楽しみました。

猫ちゃんがたくさんいました。









上杉謙信は、唐沢山城を五回攻めたけれど、四つ目掘まで来れたのは一回だけだったという・・・。
ここまで進軍したけれど、堀が深くてそれ以上進めなかったそうです。


四つ目堀  唐沢山神社の進行方向向かって左側と右側

神橋と神社に向かう道


進行方向左手にあります。


えっ、舟木一夫さん?


南城跡 南城の先端は、覗き込むと崖になっていました。



本丸へ

南局跡に側面は石垣です。


唐沢山神社本殿


『標高八百尺』

二の丸に下りました。
本丸を振り返ると、上下左右2.5m程の鏡石が門の左右に見えます。
左は茶色っぽい『チャート』で、右は黒っぽい『石灰岩』でできています。
本丸に上がって来る人を「ドヤッ!」っと威嚇するための物だそうです。

二の丸跡


豊臣秀吉は、徳川家康が江戸に移封になった年に、この8mにも及ぶ高さの石垣を
造ることを命じました。徳川家康に高所睨みを聞かせるためです。




進行方向が二の丸


杉曲輪(金の丸)

杉曲輪(金の丸)から見た平城

多分杉曲輪と平城の間の空堀

多分平城と平とや丸の間の空堀
平とや丸

平とや丸
危険防止の鉄棒があります。

ここで二の丸虎口に戻り、三の丸に向かいました。


広い三の丸

三の丸南端にある藤棚 神橋へ

三の丸の北端

三の丸脇の帯曲輪を通って、駐車場へ

その後鏡岩に向かいましたが、案内板がなくて、下の写真が鏡岩かどうか分かりません。




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