北 出 丸 |
この場所は「北出丸」あるいは「鐘の丸」といわれ、本丸の北側を守る場所である。 |
江戸時代の記録には、 東西約36メートル 南北約54メートル |
本丸との間の堀幅約14メートルと記されているが、建造物等の詳細については |
不明であった。 |
平成元年に一部発掘調査が行われ、テラスが建設された場所には岩盤をくり抜 |
いた柱穴と思われる遺跡が発見され多量の瓦も出土し、「隅やぐら」(見張台)の跡 |
とも考えられる。また西側の階段」周辺には「搦手」(城の裏口)があったと考えられ、 |
防御の点からも複雑な地形を構成しており、重要な場所であったことが確認された。 |
平成元年 佐野市 |