見て歩く日本の城と史跡ー埼玉県佐野市(2)

わずか7年で廃城になった佐野城(高砂町1
 
 翌日唐沢山城に上ろうと思い、近くのホテルにチェックインしたところ、まだ日が高かったので、
佐野城に行ってみました。佐野城は、佐野氏が徳川幕府から出された『山城禁止令』に従って
移転先として築城した平山城です。
 佐野氏は石垣が見事な唐沢山城を捨てて、この地に移転したわけですが、各曲輪を深い空堀で
区切っていることなど、この城もナカナカのよくできた城です。その後7年で佐野藩は改易になりま
すが、保存状態はとても良いです。唐沢山城と佐野城は、セットにして見学すると良いと思います。
                                (23/ 3/ 3 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

三の丸
今は遊具のある公園になっています。

二の丸へ
二の丸に向かいます。 何の石碑か分かりません。

二の丸
この階段の上が二の丸です。

二の丸

二の丸と本丸の間の空堀
二の丸から本丸を見る。 右上:二の丸と本丸を繋ぐ橋

二の丸と本丸の間の空堀

本丸




本丸から北出丸へ 空堀を渡って


北出丸
北 出 丸
 この場所は「北出丸」あるいは「鐘の丸」といわれ、本丸の北側を守る場所である。
江戸時代の記録には、 東西約36メートル   南北約54メートル
本丸との間の堀幅約14メートルと記されているが、建造物等の詳細については
不明であった。
 平成元年に一部発掘調査が行われ、テラスが建設された場所には岩盤をくり抜
いた柱穴と思われる遺跡が発見され多量の瓦も出土し、「隅やぐら」(見張台)の跡
とも考えられる。また西側の階段」周辺には「搦手」(城の裏口)があったと考えられ、
防御の点からも複雑な地形を構成しており、重要な場所であったことが確認された。
  平成元年                           佐野市

北出丸から本丸方向を眺める。

建設されたテラス




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