見て歩く日本の城と史跡ー富山県富山市(3)

佐々成政を討つため秀吉軍が本陣とした白鳥城跡(吉作)

佐々成政は、小牧・長久手の戦いで秀吉に謀反し、織田信雄と徳川家康が
秀吉軍と和睦した後も戦い続けました。
秀吉軍は、成政を討つべく白鳥城を本陣にしました。
結果、勝てないと分かった成政が剃髪し、詫びを入れて、許されました。
そんな歴史のある白鳥城。遺構が良く残っていました。(20/10/30 訪問)

呉羽丘陵から見る富山市街地

(現地案内板より 以下も同じです。)




 ここは、旧白鳥城二の丸外郭であり、ここより約200m南方の一等三角点、標高
145.3mの主峰城山に本丸跡があり、寿永2年木曽義仲が築城したと伝えられる。
その後桃井・神保○○等の諸将が越中の興亡にかけた歴史を秘める地である。
またこの地には、古来からの数多くの文化が残され富山県の東西が眺望できる絶景
の地でもある。われわれは活性溢れる富山市の発展を祈念し、郷土づくりの拠点
をこの地に求め、碑を建立し富山市に贈るものである。
  昭和60年11月吉日  富山西ライオンズクラブ チャクナイト14周年記念に建立

『白鳥城址』の碑

碑の側面
碑に向かって右側の階段を登りました。

草に埋もれていました。


埋まってしまっていますが、空掘の跡で、空掘を越えて登ると二の丸です。


二の丸から更に登ると本丸です。

本丸より一段高い天守台跡

天守台を取り囲むような本丸

これを見て、北口に下りることにしました。

右手に小さな郭がありました。
これが本丸下郭でしょう。

空掘に橋が架かっていて、草で良く見えませんが、かなり深いようです。


北二の丸に到着!舗装道はすぐ!

舗装道(北口)に着きました。



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