見て歩く日本の城と史跡ー和歌山県伊都郡

真田正幸・信繁の配流の地・九度山(九度山町九度山)

小学生の頃から知っていて、行ってみたいと思っていた真田幸村(信繁)配流の地九度山に行ってきました。
九度山は本当に『山』で、でも小さな山です。比較的自由に暮らしていたとは聞きましたが、
見張りはいただろうし、特に正幸にとっては、辛い日々だったろうと拝察しました。

見どころとしては、配流時の住宅跡に建てられた善名称院にある『真田正幸の墓』が一番でしょうか。
お墓の前に立つと、風化されたとはいえ、正幸の無念さが伝わってくるようでした。
2人の配時当時も2人に暖かく接したという九度山の人達は、今も2人を誇りにお持っておられるようでした。
それにしても、見張りの目をくぐって、大阪城に向かって九度山を脱出するのは至難の業だろうと、
翌日和歌山市に向かう途中考えました。

とても狭い範囲なので、川岸の駐車場に車をおいて、歩いて回りました。       (18/04/17 訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)

善名称院(真田庵)の正門

 
 善名称院の本堂の側面

   善名称院の本堂の正面




















   真田安房守昌幸墓地
 信州上田城主であった真田安房守昌幸は、関ヶ原合戦の時次男幸村と共に西軍に組して戦った。
 戦の後、徳川家康から高野山での謹慎を命じられ、慶長5年(1600)に高野山に登り、まもなく親子共に
この九度山に関居した。昌幸は、同16年(1611)に死亡(享年65歳)したので、その屋敷地に葬ったのが
この墓地である。
 その後、幸村は、同19年(1614)に大阪夏の陣に参戦し、その勇猛さはつとに知られている。
 日本史上著名な人物及び事象に関する地として、貴重な遺跡である。
昭和55年8月1日指定     

 
真田正幸のお墓


 真田地主大権現
幸運の地主権現として敬い奉る社であります。
是は真田家重大の宝物である毘沙門天と真田家3代の
御霊を合祀したものであります。
昔から福徳を授け給う運の神として遠近を問わず多数
の信者が訪れ何事によらず一心に祈願すると霊験あら
たかであると伝えられております。

 
   
 
 
   雷封じの井
慶長年間幸村公が関居中眞田屋敷に落ちた雷をとり
押さえて井戸に封じ里人の難を救ったと云ふ
   故事に因んで雷除けの瓦鈴がある

 
 
 
 
 善名称院のもう一つの門(内側から)

   善名称院のもう一つの門(外側から)
 
 
 

真田の抜け穴

真田古墳
 
     
 
 
 
 
 
 
 
信繁が使ったという井戸    左の井戸がある遍照寺付近 



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