真田安房守昌幸墓地 |
信州上田城主であった真田安房守昌幸は、関ヶ原合戦の時次男幸村と共に西軍に組して戦った。 |
戦の後、徳川家康から高野山での謹慎を命じられ、慶長5年(1600)に高野山に登り、まもなく親子共に |
この九度山に関居した。昌幸は、同16年(1611)に死亡(享年65歳)したので、その屋敷地に葬ったのが |
この墓地である。 |
その後、幸村は、同19年(1614)に大阪夏の陣に参戦し、その勇猛さはつとに知られている。 |
日本史上著名な人物及び事象に関する地として、貴重な遺跡である。 |
昭和55年8月1日指定 |