見て歩く日本の城と史跡ー和歌山県和歌山市

御三家・紀伊徳川家の和歌山城 (一番丁3)

御三家・紀伊徳川家の居城だった和歌山城は、火災に遭ったり、空襲にあったりで、
天守閣は、鉄筋コンクリートで再現されたものです。
江戸時代のもので残っているのは、かつての大手門だった『岡口門とその脇の土塀』、
と『追回門』の二ヶ所のみだそうです。そのうち『追回門』は、一部手が入っているそうです。

西の丸、二の丸から天守閣、本丸に登るのはそれなりに大変でした。
曲輪(丸)の資料が豊富に残っていて、かつての建造物をできるだけ正確に
再現されているようで、興味深く散策できました。     (18/04/19  訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)






 
  一の橋の樟樹(県指定天然記念物)

 
   
 


表坂登り口

 
 表坂を登る。  

 
     松の丸から見る大天守


 現在の岡口門(内から外へ)


 
 現在の岡口門(外から内へ)

 
 
江戸時代のものが今も残る狭間のある土塀

 
 高石垣の角

 
 
 南の丸から松の丸と本丸を見上げる。

   
 
     駐車場になっている不明門付近

 
 右側:新裏坂登り口

   

   
刻印のある石



追回門(内から外へ)

追回門(外から内へ)
 
 
 
 
 
天守閣を見ながら西の丸へ

 
  西の丸庭園入口

 
 
 
 


 


  高灯籠(たかとうろう)
文政8年(1625)に沖行く船の安全を祈願するため、紀州藩10
代藩主徳川治宝が紀淡海峡を遠望できる水軒御用地内(現養
翠園)に高灯籠一対を建立した。この高灯籠はその片方にあた
る。その後明治22年(1889)海草郡湊村戸表内山○○が徳川
家に懇願し、一対のうち片方の○○を受け、自宅の裏山に私設
灯台として設置し、夜間航海の目印とした。昭和12年(1937)
に和歌山港に灯台が新設され、いつしか忘れられ、長らく畑地に
埋もれていたものを昭和62年2月にこの地に移築復元された。
高さ4,1メートル、「文政八乙酉歳12月吉辰」の銘がある。

高灯籠

西の丸
御橋廊下・西の丸側

傾斜がキツイ御橋廊下

 
御橋廊下・二の丸側

 



 
     二の丸跡

御橋廊下

裏坂・登り口

 
   
 
 
本丸・天守閣へ  




裏坂・登ったところ C多門

大天守からの眺め 
右奥に乾櫓

西の丸
左奥に本丸 乾櫓と海

 
小天守の屋根    小天守の鯱

 
左:西の丸  右:二の丸

  本丸 
 
町中を流れる川。これがナ、ナ、ナント、かつての外堀。 



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