見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県北杜市白州町(3−4)

武田氏の中山砦の根小屋と織田信長が宿泊した台ヶ原宿(白州町台ヶ原)

織田信長が武田勝頼を攻めて甲府に向かう途中、台ヶ原で泊まったと知り状況を調べてみました。
台ヶ原は、江戸時代初頭に甲州街道の宿場として整備されましたが、それ以前も古道が通っていたようです。
織田信長は、多分その古道を通って台ヶ原に至り、宿泊したように思われます。
台ヶ原というと、国道20号線を挟んだ南側にある中山砦とその根小屋にも注目したいです。
近い将来、中山砦に登るつもりなので、今回は、根小屋の場所を推測してみようと思いました。
                 
                         (18/07/30 訪問)

荒尾神社は明治に根小屋から台ヶ原に移動しました。 (『武川 町の歴史旅』より)

右上に中山砦。中央下がかつての根古屋だったのかと・・・。

 
現在の台ヶ原宿  

甲州街道 台ヶ原宿
荒尾神社と田中神社
                   所在地 白州町台ヶ原2296番地
 荒尾神社は、もと中山の麓の根古屋にあった。祭神はミズ象女命、日本武尊である。
 甲斐国誌に「荒キ尾白川二臨ムノ意ニテ荒尾ト名付クト云」とあり、尾白川の氾濫
などから村人が、台ヶ原などに移り住むようになり、明治43年に台ヶ原神
社境内に境内神社末社を合祀、大正3年4月5日その境内に遷座した。
 田中神社は、祭神は大己貴命と媛太神で、安産の神として近郊に知られていた。
 この拝殿は、江戸時代(慶安5年から元禄3年)にお茶壺道中の宿舎に当てられ、
2回修造料として各拾両宛拝領の記録がある。
 なお甲斐国誌に「祀側二虎石アリ故二古来本村ニテハ獅子舞ヲ〇ンテ入レス正月
まで虎舞が〇けられていた。虎頭のみ残して絶えていたこの舞を、近年集落の若者を
中心に保存会が発足し、復活させた。
 また、境内を集発地として明治初年まで行われていた昆虫除けの祭礼は、資料が残
存していて、江戸末期の農村事情を知ることができる。
  平成9年1月吉日
                        白州町教育委員会
(現地案内板より  以下も同じです。)


    読めません。

 
拝殿の裏に荒尾神社と田中神社があります。

 
左:荒尾神社   右:田中神社
田中神社は、馬場美濃守関連の神社であると聞いたことがあります。

 
 
 
 
尾白川   尾白川



甲斐武田氏の史跡・目次][年表