見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県西八代郡

新羅三郎義光の三男・源義清館跡伝承地(市川三郷町市川大門)

新羅三郎義光三男の居館跡は、それと聞いただけでもワクワク感があります。
実際に行ってみると、地元の方々が大切に保存なさってきたのが、分かりました。
新羅三郎義光の子孫は、武田家として甲府に定着していたイメージがありますが、
山梨県下アチコチと点在した結果、武田信玄の父信虎の時代に、躑躅崎の館
として甲府に落ち着いたのですね。    
24/ 1/20 訪問

(現地案内板より 以下もどうようです。)




 

三条実美の揮毫

武田氏の家紋の一つ『花菱』



 


 

信玄の末弟一条信龍塁跡(市川三郷町上野)
 
牡丹の花が美しいとニュースで見て、出かけた市川三郷町は、かつて信玄の末弟一条信龍の館があった
場所でした。信龍は、天正10年に、武田家が滅びたとき、息子の信就と共に、僅かな手勢で徳川の大軍に
討ち入った勇猛果敢な武将だったと読んだことがあります。

現地には、『上野城』という石碑がある一画がありましたが、土塁、空掘りなどもない単なる館だったそうです。
上野城は、居館の役目と烽火の中継所という役目を担っていて、防備のための城ではなかったようです。
後に蹴裂神社ができましたが、これは信龍とは関係のない神社なのではないかと思いました。

現地に行って初めて知ったのですが、歌舞伎俳優の市川団十郎の始祖は、信龍の家臣堀越重蔵だったそうで、
歌舞伎文化公園が造られていました。その公園の庭に、丹精された牡丹園があるのです。
丁度、牡丹の見ごろに行ったので、美しい牡丹が堪能できました。   (
17/ 4/28 訪問

(現地案内板より)

この森の部分が信龍屋敷跡

屋敷跡にある『上野城跡』の碑
 
蹴裂神社

  満開の牡丹を楽しみました。



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