見て歩く甲斐武田氏の史跡ー山梨県山梨市

復元された川浦口留番所(三富川浦1221)

口留番所は、今までいくつか見てきましたが、その意味がイマイチ分かっていなかったので
Wikipedia から少し知識をいただきました。復元された川浦口留番所を見に行く途中で、
川浦口留番所跡の石碑を見つけ、復元された場所は、実際に番所があった場所と少しズレ
ているのだろうと
思いました。復元できるスペースが必要だったからでしょう。

復元された建物は二棟あったのですが、門を潜ったすぐの建物は、観光客が使えるお手洗い
だと分かりました。そしてふと、実際の番所にもお手洗いがあったのだろうかと思いました。
                                (23/ 6/27 訪問)

口留番所とは、江戸時代に各藩が自藩の境界や交通の要所などに設置した番所のこと。
江戸幕府の関所に相当する。また、江戸幕府が設置した施設でも裏街道に設置されたもの
など、関所の要件を満たさない小規模なものは口留番所と称した。(Wikipedia より))

(現地案内板より)

古い石碑が残っていました。

手前がお手洗い、奥が番所。


141号線に繋がっています。 お手洗いの傍にあった石

(山縣館でいただいたパンフレットより

山縣館ロビーの展示物です。
川浦口留番所の前身は、武田信虎より前の時代に作られた関所だったのですね。

山県昌景の末裔の方が営む川浦の湯・山県館(三富川浦1140)

武田信玄開発の湯だということで、泊まりにいきました。源泉かけ流しの湯は、
湯量豊富で楽しめましたが、何よりロビーに展示してある山県昌景の武具等が
楽しみの第一でした。許可を得て、ここにアップロードさせて頂きます。
                            (23/ 6/27 訪問)

山県昌景 1575年没
安政3年 第12代将軍・徳川家定の時代


山県館でいただいたパンフレットより) 
原本は恵林寺所蔵

左: 八王子市の名和美術館にある山県昌景の赤備え。レプリカかどうか、お尋ねしませんでした。
私見ですが、井伊家の赤備えにも見えます。
右: 山県館に展示されている山県昌景の鎧・兜のレプリカ。 本物は、恵林寺にあるそうです。
旅館スタッフから伺ったのですが、レプリカ作成時は赤かったけれど、今は赤が抜けたんだそうです。

私見ですが、山県昌景が飯富氏だった頃の鎧・兜にも見えます。

参考:彦根城博物館に展示されている『井伊の赤備え』


山県昌景像




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