見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県長野市松代町(3)

真田信之正室・小松姫の菩提寺・大英寺(城東表柴町1314)

大英寺は、徳川家康の養女にして本多忠勝の娘だった、真田信之の正室小松姫の菩提寺です。
予約をしておかなかったので、本堂の内部は見られなかったですが、写真が置かれていて
それなりに分かりました。
小松姫は輿入れしたとき、徳川の紋章が入った豪華な調度品を持参したそうです。
大英寺には、たくさんの葵の紋がありました。         (19/ 2/ 5 訪問)

大 英 寺 の 歴 史
 皓月山大英寺は、松代藩初代藩主真田信之が、その奥方であった小松姫(大蓮院殿)の菩提を弔うために建立した寺である。
 小松姫は、徳川家の重臣本多忠勝の娘であり、しかも徳川家康の養女となって嫁いだので信之を助け大変立派な奥方だとい
われたが、元和6年に小松姫が亡くなると、信之はたいへん落胆し嘆きもひとしおであった。
 小松姫の戒名は、大連院殿英誉皓月大禅定尼で、大英寺の名前もこれによる。
 小松姫の亡くなったのは、信之がまだ上田城主の頃だったので、上田の常福寺(今の安楽寺)に葬られてお墓やお霊屋が建て
られたが元和8年信之は松城(松代)へ転封になったので、松城に大蓮院殿の寺を移し、これが今の大英寺である。上田に造っ
たお霊屋と鐘楼を運んで建てなおした。(このお霊屋が現在の本堂で県宝に指定されている。)その頃の大英寺にはお霊屋や
鐘楼のほかに、諸堂が建立され浄土宗派だったと伝えられている。
 移築した大英寺は常福寺の合霊大和尚によって開山された。
 ○○2年には幕府より100石の御朱印を頂戴し、宝永7年には本堂と庫裡、衆察などを○○した。享保19年火災を起こして焼
失し寛保元年再建に着手し、同2年完成した。また天明5年お霊屋の大修理等全て松代藩真田家によって行われた。
 明治維新のあとは、真田家の援助も領地も全て無くなってしまったので、大きな○○維持は困難になり、いくつかの堂を取り壊
し、真田家にお願いして、お霊屋を○○○○し、残りの材で庫裡を造った。
 大英寺は、江戸時代初期からの歴史が境内の所々に見られる。浄土宗の由緒ある寺である。
平成11年10月吉詳日 皓月山大英寺 第21世現薫皓誉法弘誌  
(現地にあった石碑より)


(現地案内板より)

表門は、丁寧に修復してあります。

 
小松姫は徳川家康の養女なので、葵の御紋が目立ちました。

 
    予約がなかったので本堂の中は写真で


真田信之隠居所跡・大峰寺(柴38)

真田正之は隠居したのが91歳、亡くなったのが93歳という現代でも驚く長寿でした。
早く隠居してもんびり暮らしたいと柴村に隠居所を造っていたのですが、「信之こそは、天下の飾り。がんばれ!」と励ます
4代将軍徳川家綱から許しが出ず、結局隠居所では長く暮らすことはできませんでした。

戦国時代を知る数少ない人間として、多くの尊敬を集めていたようです。

正之没後は、大峰寺というお寺が建てられ現在に至っています。 (19/ 2/ 5 訪問)

大峰寺本堂

月舟という方を存知あげていないのですが、ステキな書に見えます。

(現地案内板より 以下も同じです。)


真田信之霊屋

真田氏の六文銭があちこちに。

真田幸村公記念



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