『西南戦争』が勃発したとき、松平家の旧藩主らが中心となり戦地の戦病者を救護する |
私設組織『博愛社』が設立された。その中に桜井松平家の16代当主桜井忠興がいた。 |
やがて忠興らのこの活動が明治政府に認められ、日本赤十字が誕生するのである。 |
当時忠興自身は、尼崎で神職をしていたが、博愛社の理念に深く共感し、自らの屋敷 |
の半分を博愛社事務所として提供した。それが現在の東京逓信病院(東京都千代田区 |
飯田橋)で、病院の敷地に『日本赤十字発祥の地』という案内板がある。 |
幕末、桜井松平氏は討幕派についたため新政府からの要請で松平姓を改姓した。 |