見て歩く日本の城と史跡ー長野県佐久市(4)

 武田信玄の遺骨が出土した大田山龍雲寺(岩村田415)

武田信玄のお墓は、すでに3ヶ所で見たと思うので、佐久市で遺骨が出土した
というのは、とても意外でした。
実際に龍雲寺を訪問してみると、山門や本堂に武田の割菱がたくさんあり、
ナルホド、と思い、納得がいきました。
それにしても、見忘れ、写真の撮り忘れが多く、帰宅してから残念に思うことしきり・・・。
次回訪問する機会があれば、差し替えるのを忘れないよう、Google Map から
お借りしておきます。                    (20/ 3/18 訪問)

       曹洞宗     大田山龍雲寺
 当時院は鎌倉時代の初め、地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として
創建されたが、その後戦火のため荒れ果て、位置も現在地に移った。
 時あたかも甲斐国主・武田信玄が、信濃の経路が一段落した永禄3年(1560)
中興開基となり、北高全祝禅師を迎えて興隆をはかった。
一、 信玄公の遺骨が霊廟に安置されている。
(昭和6年5月29日境内にて遺骨発見)
一、 武田氏3代(信虎・信玄・勝頼公)が厚く帰依した名僧北高禅寺の墓碑
がある。(長野県史跡)
一、 王親町天皇の勅額「東山法窟」(東山道第一の道場)が掲げられている。
一、 信玄公が上洛の際、必勝祈願の千人法幢(大勢の僧が道場に籠って行
われる宗教的大行事)を元亀3年4月から7月にかけて執行した。
一、 武田文書を中心に、38通の佐久市指定文化財の古文書、その他が保
存されている。
(現地案内板より 以下も同じです。)

山門正面

山門背面

本堂

本堂の右手奥にあります。


信玄公の遺骨出土の地 信玄公御霊屋

『大井公御茶湯の井』とあります。 これがその井戸

惣門と王親町天皇の勅額

かつて佐久郡で繁栄した大井氏の大井城跡(岩村田3465−2)

かつて佐久郡で繁栄した大井氏は、小笠原氏の一族でした。
大井城は、現大城公園である場所がいわゆる本郭で、
王城の南側がいわゆる根小屋だったのでしょうか。
                    (2021/03/18 訪問)







王城の大ケヤキ
上: 大ケヤキを祀る神社
下: 大ケヤキの近くから崖下を覗きこむ。



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