見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県下伊那郡(1)

高森歴史民俗資料館・時の駅(高森町下市田2243)

下伊那郡高森町は、徳川四天王の一人井伊直政の父・井伊直親(幼名亀之丞)が今川義元から身を隠し、
10年(12年とも)を過ごしたところです。
高森歴史民俗資料館・時の駅には、直親の肖像画等があると聞き行ってみました。
直親縁の『青葉の笛』のレプリカがあり、楽しめました。
しかし、期待した直親が帰郷するとき我子に残した短刀のレプリカは作ってないということで、残念でした。 
        
                                   (18/ 8/26 訪問)

(高森歴史民俗資料館の展示物で、以下も同じです。)





『JA みなみ信州』より転載
http://www.ja-mis.iijan.or.jp/gotominami/hometown/2016/10/12.php

井伊亀之丞が松源寺から井伊谷に戻るとき、我子に残した短刀は今も実在し、
1年に一度高森町歴史民族資料館で公開されるとのことですが、その期日を外したので、
見ることができませんでした。
上記の写真は、上記サイトから転載させていただいたものです。

井伊亀之丞を今川義元から匿った松源寺(高森町下市田4389)

井伊亀之丞を今川義元から匿った松源寺は、天正10年織田信長軍の兵火により焼失しました。
その後、松岡城の五の郭に再建されましたが、本堂は火災に遭い明治30年に再建されたものです。
しかし、山門は
突風で大破したのを同じ部材を使って再建されたもので、往時を偲ぶことができます。
かつて松源寺があった場所が分かっているので、行ってみたかったなぁと帰宅してから思いました。
                                            (18/ 8/26 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

(現地でいただいたパンフレットより)




松源寺は、現在松岡城五の堀と四の堀の間にあります。


 
松源寺の山門(外から内へ)

松源寺の山門(内から外へ)

 
松源寺本堂 

井伊亀之丞を匿った松岡氏の居城・信濃松岡城(高森町下市田)

信濃松岡城は、今までいくつか登ってきた山城とは、違っていました。
一般的に戦国時代の要害城は高い山の頂上にあり、城主は根小屋に居住する
という形が多いのですが、松岡城はお城に入ってから平地を歩いて主郭まで来ると
主郭が絶壁の上にあることに気付かされます。
その上、主郭に進む両脇が天然の深い掘になっているので、なかなか堅固な城だと
いうことも分かってきます。

井伊亀之丞もこの城に何度も訪れただろうと感慨に耽りながら天竜川を眺めました。

因みに、松岡氏が徳川家康により改易されたとき、井伊直政は父を匿ってもらった
恩義により改易を思い留まるよう家康に頼んだのですが、聞き入れられなかった
そうです。                   (18/ 8/26 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)




(現地でいただいたパンフレットより)


 
松源寺から主郭に向かう。

  道の両側に名産の市田柿


二の郭にある案内板

三の郭から見る松源寺
 
 
 
 通路の両側の土塁(前方:二の郭 後方:主郭)

 
広々と気持ちが良い主郭 
 

崖の上の主郭から下への道がある。

主郭から見る天竜川



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