見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県上田市(7)

真田信繁の弟信忠の屋敷跡(西内宮沢区)

真田信繁の弟信忠の屋敷が宮沢区にあったと観光協会で聞いて出かけました。
独鈷山の麓の登山道脇にありますが、廃城になってから400年も経っている
とのことで、大きな段々畑のようにも見えます。
土塁が4ヶ所に残っていると案内板にありましたが、土塁にも見え、畑のために
脇に除けた石や土のようにも見え、よく分りませんでした。
『姫道』の小さな案内板を見つけて、写真に撮ったつもりですが、
撮影は失敗していました。残念!            (21/ 3/29 訪問)

(現地案内板より)

(観光協会のポスターより 以下も同じです。)


真田信忠屋敷跡

桜の植樹千本を募っていたようです。
4ヶ所残っているという土塁の一つなのでしょうか?

真田信忠屋敷跡は、畑として使われているのでしょうか?



鹿教湯温泉郷にある『真田姫御屋敷跡』(西内鹿教湯温泉)

鹿教湯温泉郷に『御殿』という地名が残っていて、真田のお殿様の御殿があったという
言い伝えがあるそうです。そのお殿様の名前は分かっていないようですが、
『真田姫御殿跡』の石碑があるというので、探しました。
その石碑は、思っていたものとは違ったのですが、石碑の位置が『御殿』だろうと思いました。

                      (21/ 3/29 訪問)

(観光協会のポスターより)


斎藤ホテル近くに『真田姫御殿跡石碑』があると、ポスターで見て、
斎藤ホテルの方に伺った結果、あった石碑が上記のものです。

この石碑の意味するところは、『真田信繁(幸村)のリゾート別荘』が
ここにあった、 そして宮沢平に屋敷があった信繁の弟・真田信忠の
息女が、鹿教湯温泉に湯治に来て、このお屋敷に泊まっていた、
ということではないか?と勝手に思いました。

ただ、上田城の城主は、信繁の父・真田正幸であって、信繁が
城主になったことはないと思います。



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