見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県松本市奈川

明治・大正時代の秘話が残る野麦峠 (長野県松本市奈川・岐阜県高山市高根町)

野麦峠は、長野県松本市と岐阜県高山市の県境にあります。分類としては長野県にするか
岐阜県にするか迷うところですが、とりあえず、長野県に入れておきます。
映画化されて、涙なしには語れない悲しいお話が残る野麦峠ですが、江戸時代には重要な
街道であったことが、分かりました。
雪が残る乗鞍岳がとてもきれいでした。       (23/ 5/12 訪問)



361号線を南下し、高嶺大橋を渡らず左折したところにある標識。
ここから一路野麦峠に向かいました。





やっと野麦峠に着きました。乗鞍が美しく、目を奪われました。
峠には、駐車場やお手洗い、お助け小屋等がある広いスペースがありました。
上の写真は乗鞍を背にして見たお助け小屋。
画面右側に旧野麦街道のハイキングコースがあります。

また、幾つかの案内板があって、勉強になりました。、



野 麦 峠
 標高1.672mのここ野麦峠は信
州との国境。明治大正時代にはこの峠
を超え長野県の製糸工場へ大勢の飛騨
の女性が糸引きの出稼ぎに向かいまし
た。厳しい労働条件の中で病に倒れ兄
に背負われ峠を越え飛騨に帰る途中
「ああ、飛騨が見える」と言って息途絶
えたと言う悲話は有名です。
 ここから西方に位置する野麦の集落
へは約6kmの山道が続きますので、体
力には余裕をもって通行下さい。


ああ、飛騨が見える!

     旧 江 戸 街 道
 旧江戸街道は、飛騨と江戸を連絡する重要な街道でした。
 ここから野麦集落までの4.5キロメートルは、江戸街道の当時のままに残っている所です。
 江戸時代には、江戸から赴任した代官・郡代たちの往来や善光寺への参詣道としても利用され
ました。また、飛騨鰤が信州に運ばれていったのもこの街道です。
 飛騨鰤とは、越中富山で捕れた鰤を塩漬けにし、高山を経由し信州へ運ばれたものをいいます。
 やがて、明治時代に入り、政府の富国強兵政策により、信州の岡谷など諏訪湖周辺で製糸産業
が盛んになり、飛騨の多くの若い女性たちが製糸工場で働くために〇〇往来したことでも有名です。
 昭和初期に国鉄高山本線が開通するまでは、飛騨を支えて来た道がこの江戸街道でした。
                                   高山市



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