見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県中野市(2)

上杉氏と共に会津に去った高梨氏の居館跡(小館4)

思いがけず地図上で、遺構がしっかり残っているお城を見つけて、行ってみました。
ぐるりと取り囲む堀と土塁が今も残っているのは、感激です。
現地案内板によれば、十分な発掘調査が行われていて、調査後埋め戻しがなされているようです。

案内板によれば、高梨氏は武田氏と上杉氏との長年にわたる合戦が起ったとき、上杉氏側に助け
を求め、上杉氏側として戦いましたが、上杉氏が会津に移封になったとき、共に会津に移りました。
そのとき、 高梨氏の居館は廃館となりましたが、今も遺構はしっかり残っています。
                                 
(07/ 9/15 訪問)



この橋は通れません。 『史跡 高梨氏館跡』

この橋から中に入りました。 南側の堀です。



南西側の土塁

高梨氏館跡の建物と庭園跡
 昭和62年から6ヶ月にわたって行った発掘調査により、館の東南隅部には庭園があり、その北側に計8棟の建物が建っていた
ことが明らかになりました。建物のうち5棟は礎石建物で、3棟は掘立柱建物です。礎石建物のうち第3号建物址は南側の庭園に
臨んで建ち、館の主殿と考えられます。東面土塁に沿って建つ3棟の建物はすべて〇柱建物で、倉庫として建てられたものでしょ
う。建物と建物の間には石組溝がめぐり、石組の貯水桝などもみられます。
 主殿南側の庭園は、土塁を背景として左奥に滝石組、右に多きな立石を配置し、その南面に中島を〇する石組の池が造られて
います。当初の池には水が落とされていましたが、ほどなく滝へ続く導水路は埋められ、枯山水へと改められたようです。
 公園整備に伴って、建物跡は遺構を土で覆って保護し、その上に石や舗装材を用いて建物の規模を表現しました。また、庭園
は後期の池に合わせて滝石組・護岸石などの露出・修復を行い、築山などの地形の復元を行いました。







何の石碑か分かりません。そばには、井戸があります。

東側小口

東側小口から見る館跡

北側土塁に登れます。 北側の堀

西側北小口 西側南小口付近の堀

西側北小口付近に残る石垣




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