見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県飯田市(3)

戦国時代三代に亘り飯田市和田を支配した遠山氏の和田城(南信濃和田1119)

 戦国時代に遠山郷で3代続いた遠山氏は、岐阜県美濃地方に多くの城を持った遠山氏と関係があったのか?
と疑問に思い、地元の観光関連の方お2人に尋ねてみました。お2人ともお答えは同じで「なんらかの
関係はあったようだけれど、分かっていない。信州の遠山氏は3代で滅びた。」というものでした。

信州遠山氏の家紋と美濃遠山氏の家紋が似ていること。
美濃遠山氏の名前には『景』がついていることが多いこと。
信州遠山氏に『景朝』『景広』などの、東濃岩村遠山氏と同名があること。
等から、私見ですが、信州田遠山氏は、美濃遠山氏の流れを汲むのではないかと思います。

 ネットで検索すると、遠山郷土館・和田城の写真が多くでてきますが、もちろん郷土館は和田城の
復元ではなく、遠山郷土館の北にある龍淵寺に『和田城跡』の木碑がありました。
 龍淵寺は、遠山氏の菩提寺だということですが、かつては、龍淵寺の敷地も現遠山郷土館の敷地も
和田城だったろうと、思われます。
 郷土館の駐車場から北を向いた右手が少し小高くなっていて、階段になっていました。その階段を
登った所にも、何か史跡があったかもしれない、とチェックしなかったことが悔やまれます。
                                (22/ 3/27 訪問)
信州遠山氏 東濃遠山諸氏
家紋が似てますね。
でも、信州遠山氏の家紋は、徳川家康からもらったものだという説もあるようです。


(現地案内板より


秋葉街道 和田宿

 秋葉街道から龍淵寺へ


 左の石段を上から覗きました。
 遠山郷土館 和田城   遠山郷土館の奥に龍淵城

遠山郷土館の庭にあります。土佐守は、3代景直のこと。
因みに初代は正直、
2代目は景廣です。(諸説あり)

織田信長が天正10年に上洛したときの、安土城本丸のお留守衆の1人『遠山新九郎』が誰であったか、はっきり
していないようですが、信濃遠山氏の誰かではないか?と書いてあるのを読んだことがあります。

郷土館の裏にある古そうな石垣

龍淵寺
 
本堂の前を通り過ぎた所にある『和田城址』の案内板

  龍淵寺本堂
秋葉街道から登った所にある山門 山門にある額


遠山氏の元の居城・長山城址(南信濃南和田)

遠山氏が和田城に城替えするまで居城としていた長山城址が、信玄滝の対岸にあったと、
帰宅してから知りました。次回遠山郷に行くことがあれば、行こうということで、ここに
『忘れないための記録』を残しておきます。        (22/ 4/ 1 記)



武田信玄縁の信玄滝(南信濃南和田)


 『武田信玄がこの滝の水で兜を洗ったとか、のどを潤した
とかいう伝説がある』という紹介文をネットで見付けて
行ってみました。
 廃業したお蕎麦屋さんの陰になっているという情報を元に
お蕎麦屋さんを探し、敷地内に入らせていただくと、高さ
20mくらいかと思われる、立派な滝がありました。
 近くの遠山川川岸に河津桜が咲き始めていて、気持ちの
良いお天気を楽しんできました。
 (22/ 3/27 訪問)




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