天文17年7月19日(1548年)塩尻峠で武田晴信と小笠原長時が激突しました。 
                  晴信は、上田原の戦い(天文17年2月14日)で板垣信方、甘利虎泰を失い、 
                    その結果、諏訪郡代板垣信方の死亡は、諏訪地方の乱れを呼び、晴信組し易しの風潮となりました。 
                   
                    武田側はその劣勢を挽回して小笠原側は武田勢の息の根を止めるべく、激しい戦いとなりました。 
                  しかし、数時間の戦いの後、武田の勝利に終わり、小笠原軍は退却しました。 
                   塩尻峠の合戦がどこであったかはっきり分かってはいませんが 
                    岡谷市の鳥居平やまびこ公園の正門近くに『塩尻峠の合戦跡』ではないかという案内板があります。 
                    塩尻峠の戦いは、塩尻市柿沢区だったという説もあるようです。     (13/ 9/28 訪問) 
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