見て歩く甲斐武田氏の史跡ー長野県上田市(8)

木曽義仲挙兵の地(御嶽堂1510−34)

以前、鹿教湯温泉に泊まっていたとき、『木曽義仲の兜』という名の最中を売っているのを見付けました。
お店の人に聞いてみると、上田市丸子で木曽義仲が挙兵したことに因んだ最中だという・・・。
木曽義仲が挙兵したのは、木曽町でだと思っていたので驚きましたが、後日丸子にでかけました。
そして丸子地区には、木曽義仲の史跡がたくさんあることが分かり、丸子地区でどんなことがあったか、
調べながら、アチコチ巡りました。その出発点がここです。
        (22/ 5/19 訪問)
木曽義仲・巴御前ゆかりの地 地図

(現地でいただいたパンフレットより)

 木曽義仲軍の飲用水だった正海(しょうかい)清水(御嶽堂)

挙兵地点のすぐ近くに『正海清水』というのがあって、木曽義仲軍の飲用水だったとのこと。
そこを向かっていると、事情に詳しい人に出会って、『正海清水』の場所等を教えていただきました。
清水の水は今も湧いていて、農業用水として使われているんだそうです。
行くまでは飲めるものなら飲んでみたいと思っていましたが、現地ではとても呑む気になれませんでした。

                           (22/ 5/19)
木曽義仲・巴御前ゆかりの地 地図
(現地案内板より 以下も同じです。)

ここが砂原峠

右奥に『木曽義仲挙兵の地』の案内板が。


正海清水は、田畑も潤していたそうです。

パンフレットには、これが正海清水だとありましたが、そうではないようです。

依田氏 高築地(たかついじ)館跡(御嶽堂)

木曽義仲がここ丸子地区に滞在したのは、諸説あるようですが1年にも満たず、
長野市の横田城に移っていったという話をどこかで読んだように思います。
仮に、2年半とかここにいたとしても、城や住居を築くには時間が短か過ぎます。
という疑問は、依田氏という武将が自分の館を義仲に譲り、自分は新たな屋敷を
作ったという話で納得がいきました。
依田氏が新たに作った屋敷跡だという伝説が残っている場所は、正海清水から
徒歩3分程、今は畑になっていました。 
   (22/ 5/19 訪問)
木曽義仲・巴御前ゆかりの地 地図
(現地案内板より)


(現地でいただいたパンフレットより)

正海清水から、山城の依田城を見上げました。
教えていただいた通り、鯉幟が泳いでいました。

木曽義仲が[笠懸」を行った愛宕神社(御嶽堂)

武田信玄は神社・仏閣で戦勝祈願しまくり、の感がありますが、
信玄だけでなく他の武将もそうなのでしょう。
時々思うのですが、戦勝祈願は武将本人の心を奮い立たせるためも
あるでしょうが、命をかけて戦う家臣を奮い立たせる演出でもあるのでしょう。
木曽義仲もこれからの戦いに臨んで戦勝祈願したのですね。
因みに、ここで出て来る「海野小太郎」は後の「海野幸氏」で、
海野氏の中興の祖と言われる人物です。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の登場しましたね。
  (22/ 5/19)
木曽義仲・巴御前ゆかりの地 地図
(現地案内板より)



矢じりが奉納された安良居神社。
上丸子にあります。
(現地でいただいたパンフレットより)



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