依田氏から譲られた木曽義仲館跡(御嶽堂1510−54) |
木曽義仲がこの地域に滞在したときの館は、元々は依田氏の居館だったものを、
依田氏が義仲に譲った、と地元の人に伺いました。
依田城というと、城山をさす場合とこの根小屋をさす場合とあるようです。
義仲は、横田河原の合戦の後、横田城に移動したという説もあり、
どのくらいの期間、この館に滞在したのか知りたいところです。
(22/ 5/19 訪問 訪問) |
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門を通るとかなり広い郭があります。
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郭の奥には石垣が。 |
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義仲桜の幼木 |
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巴の松の幼木
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左下の石垣は、当時にものでしょうか? 右上に登ると、更に郭があるのでしょうか?
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上ってみましたが、特に何もありませんでした。下を見下ろし写真を撮りました。 |
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依田城への登り口にある宗龍寺(御嶽堂145) |
依田城(城山)への登山口は、宗龍寺の裏手にあるとのことでしたが、
今回は行ってみませんでした。宗龍寺のある場所にも依田氏の居館か
それに類するものががあったようにも思えますが、勝手な推測です。
『木曽義仲館跡』は、見晴らしが良く軍事的に意味のある場所に思えますが、
ここ宗龍寺は城山の登山口でもあり、それなりに利点があるように思えます。
(22/ 5/19) |
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宗龍寺に向かう車道を登って行く途中に参道らしき階段がありました。
かつて、ここも依田城の郭ではなかったろうか?とふと思いました。 |
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享保年間の建立。唐様造りで文久3年の火災を免れた同寺最古の伽藍。
「龍宮城の門」と呼ばれ親しまれています。(宗龍寺HPより)
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本堂の後ろに依田城(依田氏の要害城)が見えます。 |
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伝説の馬大門と義仲桜(御嶽堂84) |
木曽義仲にまつわる伝説の馬大門は、今は舗装されていて車でも上れます。
当時は、険しい山道だったのでしょう。現存している義仲桜は、現在で何代目?
訪問した日は、とっくに桜は終わっていましたが、機会があれば見てみたいものです。
(22/ 5/19 訪問) |
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Pから真っすぐ登る参道を
上から見下ろしています。 |
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義仲が馬で駆け上がった脇参道を
下から見上げています。 |
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