越前一乗谷は、朝倉氏五代が100年に渡って居住し、五代目当主朝倉義景が
織田信長の攻撃に敗れるまで栄華を極めたところです。
下の写真を見ていただくとお分かりのように、南南西方向から足羽川へ一乗川が流れていて、
その川沿いが、いわゆる越前一乗谷です。
川の向こう側に車道があります。南南西方向の左側が、朝倉氏の住居跡。
右側に、武家屋敷や商人の住宅などが復元してあります。
もし、朝倉氏滅亡の後、柴田勝家がこの地に城を構築していたら、
このように見事な発掘、復元はなされなかっただろうと思います。(06/07/31 訪問)
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越前一条谷を通りかかるチャンスがあったので、谷で撮った写真を少し加えます。
(19/12/22 通過) |
一乗川の風景(上が南)
茶色い水が流れています。
画面左側に朝倉義景館跡、
右側に町並みの復元があります。 |
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唐門:: |
豊臣秀吉が義景を弔うために建てた
松雲院の寺門で、江戸時代中期に
建て替えられたものです。 |
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唐門上部にある朝倉家の『三ツ木瓜』の紋 唐門内部には、豊臣家の『五三の桐』が刻まれています。 |
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諏訪館跡庭園(義景夫人の屋敷跡)
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中の御殿跡(義景の母光徳院の屋敷跡) |
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中の御殿跡と湯殿跡庭園の間にある空堀 |
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誰が住んでいたかわからない湯殿跡庭園 |
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館跡にある朝倉義景の墓 。
義景は現在の大野市に逃れたが一族の景鏡の裏切りにより自刃。
義景の墓は、大野市にもあります。 |
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朝倉義景館跡を巡らせる堀 |
武家屋敷と町並みが復元してあるのですが、思ったよりずっと、精密なものでした。
敷石などを発掘し、その敷石を使ってあるのでなかなか素晴らしく、重厚です。建築方法も当時のものを、できるだけ使ったとか。 |
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復元町並みのメイン・ストリート
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復元武家屋敷 |
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ゲームを楽しむ御当主
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殿座敷 |
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台所(働いているのは使用人でしょう。)
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お手洗い(扉が外してあります。) |
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朝倉家の『三ツ木瓜』の紋
抹茶をいただける(有料)ところがあって、
そのときでたお菓子です。 |
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敷石等が発掘整備された武家屋敷跡
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商人の家並み
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商家の内部 |
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車道から見た商人の家並み |
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