 |
 |
 |
 |
 |
◇ 茶々(淀君) (〜1615)
お市の長女茶々は淀君とも呼ばれた。
母はお市の方で、父は浅井長政。長政は織田信
長に滅ぼされた。お市の方は3人の娘をともなっ
て柴田勝家と再婚し、越前北ノ庄へ移ったが、
その後、勝家が羽柴秀吉に敗れた時、茶々は2人
の妹(お初、お江)と共に、城を逃れた。
茶々は豊臣秀吉の側室になって寵愛を受け、
秀頼をもうけたが、慶長19年(1614)徳川家康の
大軍と交戦することになり、翌元和元年5月8日
秀頼とともに大阪城内で自害した。
享年49歳と伝えられる。
|
|
 |
◇お初 (〜1633)
お市の方の二女お初は、姉の茶々とともに秀吉
に引き取られ、後に従兄妹の京極高次に嫁ぎ、
忠高をもうける。高次は慶長5年(1600)関ヶ原の
合戦ののち、若狭国小浜城主(所領9万5戦国)
となる。
慶長14年、お初は夫と死別後、剃髪して常高
院と号した。この頃から度々淀君を訪ねている。
大阪の陣には、徳川家康の命を受け大阪場に使
者として入り、姉淀君と和平の交渉をした。寛永
10年(1633)8月27日江戸において死去。
享年66歳と伝えられる。 |
|
 |
◇お江 (1573〜1626)
三女お江は豊臣秀勝などと再婚を重ねた後に、
徳川二代将軍秀忠の正室になる。秀忠との間に
7人の子宝に恵まれた。長男家光は三代将軍に、
次男忠長は駿河大納言となる。長女千姫は淀君
の長男秀頼の夫人となり、二女珠姫は加賀藩前田
家の養女、三女勝姫は福井二代藩主松平忠直に
嫁いでいる。四女初姫は京極忠高室、五女和子
(東福門院)は後水尾天皇に嫁ぎ中宮となる。
寛永3年(1629)9月15日江戸城において
生涯を閉じた。享年54歳。 |
|