見て歩く日本の城と史跡ー福井県福井市(3)

 新田義貞戦没伝承地・新田塚(新田塚)

足利尊氏と何かと比較され,マイナーなイメージのある 新田義貞が戦没した地が特定されていて
しかも手厚く葬られていると知って、嬉しい気持ちが湧いてきました。
この後、坂井市の称名寺にも行って、お墓にもお参りして来ました。  (19/11/22 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)

新 田 塚
 此の地は建武の中興の忠臣新田義貞戦死の地である。義貞の戦は延元3年(北朝暦應元年)即ち紀元(1338年)
であるが、その後300余年を経た明暦2年(1656年)一農夫が此の地の田中より義貞の使用せるものと認められる
兜を発掘した。よって史実に基づきこの地を義貞戦死の地と定め萬冶3年(166年)福井藩主松平光通がこの地に碑
を建てた。之が中央の堂宇内に現存する新田塚である。尚此地は大正13年12月内務大臣により「燈明寺畷新田義
貞戦没伝承地」として史跡の指定を受けている。
(現地石碑より)


『新田塚』は地名になっています。

『新田塚』は、小さな公園にもなっています。

燈明寺 『燈明寺畷新田義貞戦没伝承地』の碑



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