見て歩く日本の城と史跡ー福井県坂井市(1)

現存する日本最古の天守閣を持つ丸岡城(丸岡町霞町1−59)

しろまるくん
お城好きなら誰でも行きたい越前丸岡城に、やっと行ってきました。
現存する日本最古の天守閣を持つ丸岡城ですが、国宝にはなっていません。
かつては国宝だった丸岡城天守閣ですが、福井大地震のとき倒壊し、その後復元
されましたが、国の重要文化財に指定されるに留まって、現在に至っています。
倒壊した部材は、再建にあたり7割〜8割使用されたそうです。


松本城等の古い天守閣は、天守内の階段が急で上り下りがかなり怖いのですが、
丸岡城の階段は、更に急だったように思われます。

城内には、多くの説明板があって、天守の構造をよく学ぶことができました。

城外のパーキングに、『丸岡城を国宝に!』の横断幕があるのを見て、何が問題で
国宝にならないのかと考えましたが、よく分かりません。  (19/11/23 訪問)

丸岡城天守閣 重要文化財   別名 霞ヶ城
 天正3年(1575)織田信長が北陸地方の一向一揆の平定を期して、豊原寺(現在地の東北約4km)を攻略した。信長は柴田
勝家の甥、伊賀守勝豊を豊原へ派遣し城を築かせた。
 天正4年勝豊は豊原城を丸岡に移した。これが現在の丸岡城となる。柴田勝豊のあと、安井左近、家清、青山修理亮、青山
忠元、今井盛次等が一時これを支配し、その後、本多成重以下4代の居城となったが、元禄8年5月有馬清純の入封以来、
明治維新に至るまで、8代にわたって有馬家の領有することとなった。
 平章館(現在の平章小学校)の創設者、有馬誉純(5代)は文教政策に力を注ぎ、文教の礎となる。
 明治3年3月、版籍奉還後、同4年9月官有となり、さらに民有に移り、明治34年8月町有となる。その間、周濠は埋められ、
城門、武家屋敷等の建物は売却または譲渡され、現在わずかに天守閣とその付近の石垣の小部分を残存するだけとなった。
 昭和9年1月30日、国宝に指定されたが、昭和23年6月28日、福井大震災により倒壊、昭和25年8月29日、国の重要文
化財に指定され、昭和26年12月復元に着手、用材は80%近く古材を使用し、昭和30年3月30日、修理復元され現在に至る。
 本城は2層3層、外観は上層望楼を形成し、通し柱をもたず、初重は上重を支える支台を成す。構架法、外容ともに古調を
伝え、屋根は石瓦(笏谷石)で葺き、基礎の石垣は野面積み、これは我が国城郭建築史上、現存の天守閣の中で、最古の様式
のものである。 
天守閣の高さ 22m(72尺6寸)
石積み1階 137平米(約41.44坪)
2階  40平米(約12.10坪)
3階  40平米(約12.10坪)
瓦の枚数 約6000枚
総重量 75トン

(現地案内板より 以下も同じです。)



本丸

入城チケットの販売ブースの近くに、丸岡城を学ぶスペースがありました。


本丸にある史跡です。



『お静慰霊碑』

『石製しゃち』
『東宮殿下御手植○○』

東宮殿下とは大正天皇だと思われます。
この石段が急で怖かったです。 1階の天井です。

明治8年(1875年) 丸岡城

1948年に発生した福井地震によって倒壊した丸岡城天主

急な階段を登るのは、命がけの気分でした。





やっと天守最上階に着きました。

天守から四方を見回しました。


太っ!




本多重次の長男成重

城内で撮った最後の写真 城外で撮った最後の写真



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