見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県岐阜市(2)

織田信長が『天下布武』を宣言した岐阜城(金華山天守閣18)

織田信長が斎藤龍興を破った後、小牧山城に続き築城した城が岐阜城です。
元々斎藤氏等の堅固な城だったのを、更に堅固に且つ優美に造り替えました。
信長は、根小屋にある麓の居館で政務を執る一方、高く険しい金華山上の
天守閣にも頻繁に登っていたという話がテレビで放映されました。
さぞかし、健脚だったのだろうと思われます。
現在ももちろん歩いて登城するルートはあるのですが、ロープウェイで現リス園まで
登り、尾根伝いに天守閣まで登ることができます。

関ヶ原の後廃城になった岐阜城ですが、多くの方々のご努力の結果、
今もその雄姿を見せています。         (19/06/02 訪問)
この頁中にある古地図は、『稲葉城址の図(伊奈波神社 蔵)、
説明文は、岐阜市教育委員会によるもので、全て現地案内板から転写しました。)
標高 329m 比高 300m
諸説あり
織田信長が『天下布武』の印を
使うようになる前に使っていた
『麒麟』の『麒』を変形させた花押。

22年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に鎌倉幕府の文官として登場する
二階堂行政が、岐阜城の最初の築城者です。
この頁の年表に、『鎌倉幕府の軍事目的のため築城する』とあります。






東側から見た岐阜城

岐阜公園入口

公園入口付近から見上げる天守閣
公園入口近くにある織田信長像










下台所案内板付近から見る天守閣


上図で『現在地』とある井戸跡

上図中央の井戸跡
絶景の長良橋



天守閣の3階から美しい景色が見られました。

現地にあった写真より



斎藤道三終焉の地か?(長良橋近くの長良川河畔)

長良橋近くの長良川河畔を車で通過中、二つの石碑がある緑地を見かけました。
弘治二年(1556年)4月20日、斎藤道三は嫡男義龍のクーデターに合い、
長良川を挟んで合戦に及びました。
結果、道三は命を落としたのですが、道三が陣を敷いたのは対岸のようなので
ここが道三が落命した場所かどうかは、分かりません。

織田信長、有栖川宮家ゆかりの寺院である崇福寺は、かつてはここにあって、
後、 岐阜市長良福光2403-1に移転したのではないかと思います。

                      (19/06/02 訪問)  





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