恵那山は、尾張平野の北方に遠望できたので遠山とも呼ばれ、
恵那山のある地域名も、遠山と呼ばれていました。
遠山氏の先祖である加藤氏は源頼義に仕え、
前九年の役で活躍した恩賞として三重県津市の所領を賜りました。
加藤氏の館は、三重県津市南羽所にあったらしいのですが、詳しくは不明です。
伊勢の国加藤景廉は、源頼朝挙兵のときに武功を挙げ多くの所領を賜り、その中に遠山荘がありました。
景廉が死去した後、遠山荘の地頭職は長男の景朝が受け継ぎ、
この後、景朝は遠山荘に土着し遠山景朝と称し初代遠山氏となりました。
遠山七家:岩村、明知、苗木、飯羽間、大平(串原)、阿寺(明照)、安木(阿木)。
安木の代わりに大井、明照に代わって馬籠を入れる説もあるそうです。
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長野県富士見町入笠山頂上(1,955 m)から見た恵那山(中央一番奥)
恵那山は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがっていますが、
頂上は長野県下伊那郡阿智村智里にあります。(標高2,191m) |
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