武田氏と上杉氏の間で苦悩した江間氏の館跡(神岡町殿573番地1 ) |
戦後時代の武家屋敷が念入りな調査の元、再現されているのは、ここ江間氏館のみだと聞いて、楽しみに訪問しました。
館跡を管理しておられる方のお話では、かつては「石がいくつか頭を出していた田んぼが、
江間の殿様のお屋敷だった」という言い伝えが、昔からあった」のだそうです。
調査により礎石などが発掘されましたが、建物がどうであったかは、資料が残っていません。
そこで、同じ年代の建物で今も残っている幾つかの建物を参考にして、「きっとこうだったろう」と
推測される建物を再現したそうです。時代考証がなされていないお城を幾つか見て来て、この江間氏館跡は、
宮大工さんをお願いし、かなりの高額を費やした建物で、見応えがある素晴らしい建物だと思いました。
これだけの労力をかけた建築物は、多くの人に見に行っていただきたいと考え、ここに纏めてみました。
歴史的にみると、武田氏と上杉氏との川中島の5回に及ぶ合戦の間に武田氏からの侵攻を受け、武田氏に尽力するよう
求められ、また一方では上杉氏からも尽力を求められ、結果江間氏の親子での諍いにも発展した経緯があります。
江間氏が南飛騨の三木氏に敗れた後、その三木氏も2年後に高山城の金森氏に敗れてしまいました。
(17/06/22 訪問) |
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江
間
氏
館
址 |
西堀(薬研堀)が埋まる様子(土層断面) |
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門
前
区
画 |
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主門・表側
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主門・裏側 |
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会所(殿さまが客と会うための建物)
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精密な細工が施された会所の屋根
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かつては田んぼだった会所の庭
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発掘後、割れていたのをくっつけた庭石
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庭の向こうに見る高原諏訪城(本城) |
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壁の様に見えるが、実は武者隠し
畳はこの当時あったそうです。
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客と会見する殿さまの居間 |
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黒い部分は漆が塗ってあります。
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美しい飾り |
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殿さまが生活する常御殿
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家来が生活する対屋 |
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かなり広い台所
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台所の礎石 |
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台所から見た会所正面と高原諏訪城
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江間氏の菩提寺・圓城寺(神岡町船津1129) |
江間氏の菩提寺は、江間氏館跡から高原諏訪城に向かう途中にあります。
美しい庭園のある落ち着いたお寺です。
江間氏館跡の管理人の方に伺ったのですが、江馬輝経のお墓は圓城寺にあるのではなく、
町内の別の場所にあるとのことでした。
江馬輝経は、白河天皇のご落胤・平清盛の流れを汲む人物なのだそうです。
(17/06/22 訪問) |
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