見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県飛騨市(2)

 江間氏の本城・高原諏訪城(和佐保)

高原諏訪城は、江間氏の詰の城で、館跡から良く見えます。
江間氏は、この本城の他に6っつの支城を持っていました。
城の資料がほしかったのですが、何もなかったので、とりあえず行ってみました。
高原諏訪城は、尾根づたいに城が展開し、本丸まで登っていくのですが、
登り始めてすぐ登山道を横切る空掘に出会いました。
それ以外は、ラクダのこぶ一つ越えた感があったことしか分からず、本丸下に着きました。
江間氏館の管理人の方が、「数日前有志の方たちが本丸の草刈りをした」と
おっしゃっていただけあって、本丸は歩き良い状態になっていました。

本丸越えた向こう側にも城は展開していましたが、本丸までで戻ってきました。

『諏訪高原城』という名前ですが、なぜ『諏訪』というのでしょうか?
と、江間氏館の管理人の方が疑問に思っておられました。武田氏と関連があるのか?
静岡県島田市金谷に武田勝頼が造った城の名が『諏訪原城』なので、
武田家と何らかの関連があるかも知れないと、私も思いました。 (17/06/22 訪問)


自動車道から左の案内板のところで上り始めました。













登山道とクロスする空掘


 
 
 
 
かつては郭だったのか?   本丸が近い!

 
左: 本丸を取り巻く帯郭
右: 上ったところが本丸

 
左: 上ったところが本丸
右: 本丸を取り巻く帯郭

 
 本丸(左に現代の建造物があります。)

 
本丸にある『江間候城址』の碑

 
本丸から見た神岡町   本丸から見た江間氏

 武田家家臣・山形昌景の縄張りで江間氏が築城した神岡城(城ケ丘1−1)) 

神岡城は、武田家の重臣・山形昌景の縄張りで江間氏が築城したと言われています。
武田氏にとっては、膠着している上杉氏を攻略する拠点にしようとしたものでしょう。

現在城址には、『三井金属鉱山の資料館』『高原郷土館』『神岡城』が展示されています。
江間氏館跡の管理人のお話によると、当時はこのような天守閣は存在せず、
平屋の建物があったと思われるそうです。
現在の『三井金属鉱山の資料館』『高原郷土館』一帯ももちろん城郭だったのでしょう。
空掘りや石垣が残っていたという文を読んだことがあります。
当時のものがどのくらい残っているか、分かるようになって「いると良いと思います。
                                    (17/06/22 訪問)

神岡城郭

(現地案内板より)


鉱山資料館

高原郷土館

現在の神岡城

参考にしたという犬山城
(江戸時代に増築された部分)
当時のものかとも思われる石垣

現在の神岡城から見た神岡の町並み

現在の神岡城から見た高原諏訪城










土橋(当時のものかは不明)の左右に広がる空掘り

 
当時の空掘り・石垣と思います。

 
 城は崖の上にあります。    

 江間氏館を復元するにあたり参考にした小萱薬師堂(小萱)

国の重要文化財である小萱薬師堂は、臨済宗妙心寺派の寺院である瑞岸寺が、飛び地仏堂として管理しています。
室町時代初期の建物で、江間氏館を復元するにあたり参考にしたとのことで、見にいきました。
小萱薬師堂は静寂な空気の中、ひっそりと佇んでいました。
           (17/06/22 訪問)  









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