見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県瑞浪市

織田信長・信忠父子が武田攻めの際入城した鶴ヶ城(土岐町字中町2659-3)

鶴ヶ城は、鎌倉時代に土岐光衡が築き、美濃国統治の本拠地としました。
城は鎌倉時代の典型的な山城です。
天正10年(1582)2月の織田対武田の合戦の際には信長・信忠父子がこの城を本営とし、
ここから武田氏追討の兵を発進しました。
関ヶ原合戦後に岩村城と共に開城し、後に廃城となりました。

中央道建設の際に出丸の先端など城山の相当部分が失われてしまい残念です。
                               (13/ 9/ 3 訪問)

(現地案内板より)


諏訪神社から見た鶴ヶ城(向かって左側の山だと思います。)

鶴ヶ城大手門跡近くにある諏訪神社

鶴ヶ城の碑

鶴ヶ城登り口

登り始めてすぐ振り返る。

かなりキツイ上り坂(振り返って)
葵の井戸

東出丸跡
かなり広い本丸跡に土岐神社があります。


本丸からの景色 下る途中に見つけた堀切

武田・織田の合戦に翻弄された小里城(稲津町小里2718)

小里城は、代々土岐氏の支流・小里氏の居城でした。
元亀3年(1572)11月、武田勢の美濃侵入により、岩村城が武田氏に属すると、
小里氏は織田方となって参戦しました。

天正2年(1574)武田勝頼が明知城を攻撃すると、織田信長は鶴ヶ城と小里城の改修を命じましたが、
翌年天正3年(1575)11月岩村城は織田の攻撃で落城し武田勢は一掃さました。
小里城の天守台は安土城の試作として築かせたものであるという説があります。
本丸跡と御殿場跡の標高差は160mほどあり、登るのはかなり厳しい!

関が原の合戦の後、旧領を回復した小里氏は、麓の御殿場跡の位置に陣屋を建設し住居としましたが、
元和9年(1623)に断家を命じら廃城となったので御殿場の陣屋が使われたのは、短い期間でした。
                                         (13/ 9/ 3 訪問)

(現地案内板より  以下も同じです。)




小里城跡登り口
手入れが行き届き大切にされているのが分かります。


登り始めてすぐの御殿場入口
近くに堀切があります。

小里氏の住居跡・御殿場

登る途中に見る瑞浪の町

大手曲輪跡
二の曲輪跡

本丸跡(向こうに見えるのは天守台跡)
天守台あるいは升型と呼ばれる
不等辺多角形を呈する石積み
天守台にある城山神社



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