室町時代 |
|
この頃より馬籠城があり、岩村遠山氏の支城であった。 |
戦国時代 |
天文24年 |
木曽氏が武田氏に降り、馬籠遠山氏も武田氏の傘下に加わった。 |
|
武田信玄死去 |
天正09年 |
武田勝頼が遠山18支城を落とし、その中に『まごめ』の名があった。 |
|
木曽義昌が武田勝頼を裏切って、武田軍から離れた。 |
武田氏滅亡 |
馬籠城は、織田氏の傘下に入るが、信長死去。 |
馬籠城を、羽柴秀吉傘下の木曽義昌が治めるようになる。 |
天正12年3月 |
小牧・長久手の戦いが勃発。 |
木曽義昌は最初徳川側に付いたが、羽柴秀吉に寝返った。 |
秀吉は、木曽義昌に徳川軍の攻撃に対する防衛を命じた。 |
義昌は、山村良勝に妻籠城を、島崎重通に馬籠城を警備させた。 |
天正12年9月 |
徳川家康は、飯田の菅沼定利・高遠の保科正直・諏訪の諏訪頼忠に木曽攻略を命じた。 |
三軍は、妻籠城に攻め込み、その一部は馬籠城を攻めた。 |
馬籠城を守っていた島崎重通は、恐れをなして妻籠城に逃げ、そこで山村良勝と共に 徳川軍を撃退した。 |
|
豊臣秀吉死去 |
慶長05年 |
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、木曽を直轄領とした。 |
江戸時代 |
元和 元年 |
木曽は、尾張徳川義直の所領となり、馬籠城は廃城となった。 |
|
徳川家康死去 |