VS  馬籠における小牧・長久手の戦い(馬籠544) | 
          
          
               
              
              
                
                   天正12年3月、小牧長久手の戦いが勃発すると、羽柴秀吉は、木曽義昌に徳川軍の攻撃に対する 
                    防衛を命じました。義昌は、山村良勝に妻籠城を、島崎重通に馬籠城を警備させ、徳川家康は、飯田の 
                    菅沼定利・高遠の保科正直・諏訪の諏訪頼忠に木曽攻略を命じました。三軍は、妻籠城に攻め込み、 
                    その一部は馬籠城を攻めましたが、そのとき、三軍が集結したのが、『陣場』と呼ばれる場所だろうと 
                    思われます。 
                     以上の様に書きましたが、『陣場』には、案内板はありませんでした。また『馬籠上陣場』の石碑が 
                    あったので、『下陣場』もあるのかとネット上で探しましたが、見つかりませんでした。 
                                                      (23/11/08 訪問) | 
                 
              
             
               
              
               
              
              
              
               
              
              
              
               
               | 
            
            
                木曽義仲の妹・菊姫のお墓・五輪塔(馬籠) | 
            
            
               
              
                
                  
                     「木曽義仲の妹の菊姫は、北条政子の養女となり馬籠の地に所領を与えられました。」 
                    という文をネットで見つけ、下の案内板を読んだところ、なぜここに菊姫のお墓があるか、 
                    納得がいきました。道が分からなくなって、農作業中の方にお尋ねしたところ、「あまり、 
                    来る人はないんですよ。」とおっしゃっていました。      (23/11/08 訪問) | 
                   
                
               
               
              
               
              
              
               
              
               
               |