見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県中津川市(4)

VS 馬籠における小牧・長久手の戦い(馬籠544)

 天正12年3月、小牧長久手の戦いが勃発すると、羽柴秀吉は、木曽義昌に徳川軍の攻撃に対する
防衛を命じました。義昌は、山村良勝に妻籠城を、島崎重通に馬籠城を警備させ、徳川家康は、飯田の
菅沼定利・高遠の保科正直・諏訪の諏訪頼忠に木曽攻略を命じました。三軍は、妻籠城に攻め込み、
その一部は馬籠城を攻めましたが、そのとき、三軍が集結したのが、『陣場』と呼ばれる場所だろうと
思われます。
 以上の様に書きましたが、『陣場』には、案内板はありませんでした。また『馬籠上陣場』の石碑が
あったので、『下陣場』もあるのかとネット上で探しましたが、見つかりませんでした。
                                  (23/11/08 訪問)


海抜 653m

標高 2192m
ここが、陣場だったのか?

恵那山

木曽義仲の妹・菊姫のお墓・五輪塔(馬籠)

 「木曽義仲の妹の菊姫は、北条政子の養女となり馬籠の地に所領を与えられました。」
という文をネットで見つけ、下の案内板を読んだところ、なぜここに菊姫のお墓があるか、
納得がいきました。道が分からなくなって、農作業中の方にお尋ねしたところ、「あまり、
来る人はないんですよ。」とおっしゃっていました。      (23/11/08 訪問)







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