見て歩く日本の城と史跡ー岐阜県大野郡

 戦国時代の遺構がそのまま残る萩町城(白川町萩町)

合掌作りの住宅で有名な白川郷ですが、興味深い戦国時代のお城があります。
訪問したときは、時間がなく且つ写真がうまく撮れていませんでしたが、あとでゆっくり、
案内板を読んで学習しました。         (06/08/01 訪問)  (17/10/11 再訪)

Google Mapより

萩町城跡のこと
 この山頂にある白跡は、南北朝頃(1370)から戦国時代末期(1580)の遺構と云います。
現在、白川村の史跡として保存されています。

 城主、山下大和守氏勝は、白川郷を出て徳川方の小田原征伐、関ヶ原の戦い、大阪夏の
陣と戦功あったことから信頼厚く、尾張藩初代藩主徳川義直の守役をつとめました。
又、現在の名古屋城(金シャチ)はその時の献策により築城されました。 「名古屋市史」から

                                        白川保存会
                                           協会
(現地案内板より 以下も同じです。)

萩町城址
 築城年代は未詳ですが、南北朝の頃南朝の公家○○○が住んだ城だと言われています。
その後、内ヶ島上野介為氏が信州より白川郷に入り、帰雲城○○○城(1465年頃)しました。
その時、白川郷に勢力を持っていた正蓮寺(後の照蓮寺)を攻め、白川郷を掌中にした内ヶ島氏の
家臣山下大和守氏勝が萩町城を代々の居城としました。城主氏勝は力が○○れ強弓を引いて7・8
丁も隔てたヤマズミの木に射○○んだといわれています。氏勝は内ヶ島氏滅亡(大地震による帰雲
城の崩壊 1585年)の後、徳川家に仕え、名古屋城の築城に献策しました。
 岐阜県白河村
遺 構
 本丸(全領域670坪)北、南、西の3面は、絶壁となって腰曲輪を設ける余地もなく、したがって二
の丸、出丸などの設備もなく居館式の城であり、珍しい様式と伝えられています。西南の角の高合
地には物見矢蔵跡があります。
                       岐阜県白河村



 搦手を城内部から見る。

   入った右手に大きな郭があります。
 
     唯一の郭です。

 
郭の先にある多分大手門
白川郷に下りることができますが、現在は閉鎖されています。

 
物見櫓跡 現在は神社があります。

 
 石組は、城だった時代の遺跡でしょうか。    





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